ナサニエル・カーン監督の映画「アートのお値段」をみる。アートマーケットで大成功を収めているが人々が次々に登場してきて、ただただ圧倒される思いであった。みているうちに、彼らにはある共通した特質があるように感じた。そもそも「お金とは一体何なのか」という概念をしっかりと修得し、確立できている人がほとんどという印象である。
実用性があまり期待できないアート作品を購入するということは、将来の資産を増やすという「投資」のルールからいっても、ほかのアイテムに比べて、不確実性すなわちリスクが格段に高いに違いないからだ。ただ資産の増え方も尋常ではないので、これに魅了される一部の富裕層がいることは容易に推測される。モノの値段など、はじめからあって無いようなものだと、彼らはちゃんと「資本主義の現実」を心得ているのだ。
実際この世には、膨大な資産を所有しかなりの程度自由に使えて、リスクの高いアート作品へもマネーを惜しみなく振り向けられる人がいるのは事実だ。昔ならハプスブルグ家のような王侯貴族ぐらいしか想像できまいが、いまの世の中ではITバブルに乗って、半ば自動的に何千億円もの資産が転がりこんでくる人だっているかもしれないではないか。
ステファン・エドリス夫妻など手練れのコレクターたちは、まるで株でも買うかのようにどの作品がいつ安く買えて、いつ高く売れるのかを目を皿のようにしてチェックしている。調査が精緻になるにつれ、選択の精度はしだいに上がっていく。狙った線に近い資産の増加が、毎度達成できていそうな熱っぽい雰囲気だ。おまけにオークションでアート作品を豪快に競り落とし、多数保持しているとなれば、社交界でもさぞ鼻が高いことだろう。
「現代アート」という特権的な冠がお好みのインガ・ルーベンスタインのような人ならば、多少値上がりに時間がかかったとしても決して焦ったりはしないだろう。コレクターとは、自身がアートの最終的保持者になることに少しの不安も畏れも感じない人々の意味である。コンセプトさえしっかりしていれば、いつか必ず評価されるという信念にブレはない。
だが、それにしてもである。目論み通りちゃんと値上がりした作品でも、ジェフリー・ダイチのようなやり手のギャラリストでさえ、期待のお値段で買い戻してくれるかどうかは、やってみなければ分からない。オークションの一騎打ちにも画商の確固たる保証にも、どこか演出の影がつきまとっているではないか。この映画にはそうした「投資にとって一番肝心なシーン」、すなわち出口戦略がどうやら決定的に欠如しているようなのだ。
そのかわり、こうした競合に特化した制作活動を試みるアーティストたちが、何人か紹介されている。ジェフ・クーンズ(写真)やダミアン・ハースト、ジョージ・コンドなどは市場でもて囃される作品=人気商品を制作する組織のオーナー兼リーダーとして、絶えずマーケットの動向を把握し、もっとも人気の作品を最適のタイミングで市場に供給し、しかも売却後も継続してその高値を維持するという神業をたっぷりとご披露してくれる。
こうして一見、何もかもが具合よくおさまっていくようなアートワールドだが、行き場を失ったブランド作品は、結局のところ自他の美術館へと流れこむほかはないのだった。(渋谷・ユーロスペースほか全国順次公開、〜令和1年8月)
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