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映画好き、みんな集まれ。


映画『キューティー&ボクサー』

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、カラヴァッジオ、ティツィアーノ、レンブラント、フェルメール、ターナー、モネ、ヴァン・ゴッホ…。どれをとっても、かけがえのない人類の至宝だ。
それらを管理・修復し、展示し、解説する。その複雑多岐な作業をこなすには、当然美術に関するあらゆる方面での第一級の学識・経験がもとめられる。こうしてロンドンのナショナル・ギュラリーは、日夜エリートたちが白熱の議論を交わし、展覧会づくりに奔走する、一般市民たちからは憧れの「芸術文化の殿堂」となる。

だがその反面、長引く不況によって予算や人員はカットされ、館の運営はこのところ苦境に立たされている。「裸体デッサンの会」などいろいろと手を打ち、お宝をこれでもかと並べる特別展を企画しても、なぜか来館者は一向に増えない。アドミニストレーターは「もっと観客動員を」と発破をかけ、キュレイターたちは「むやみに大衆へ迎合したくない」と反発する。こうして美術館は、社会的権威の象徴でありながら、いまもっとも生々しい抗争の場となっていく。
ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン監督は、こうしたナショナル・ギャラリーを、館内で交わされる日常会話を拾うだけの斬新な手法でみせている。まことに見事というほかない。そしてその誠実な記録の結果、われわれが目撃するのは、枠組み・建前としての人類の至宝と、目もくらむような権威主義、まったく実感の伴わない経済的危機に振りまわされ、結局国家にも市民にも背を向けて「あれこれ理屈をつけながら」自己保身に走る内部スタッフたちの哀れな姿だ。
撮影にわざとらしい作意が感じられないだけに、この意外な結末は一層鮮明である。世界に冠たる文化大国イギリスといえど、「ほんの10年ほどまえに日本がやっていたことと変わらないねえ」といってしまえば、あまりに失礼に過ぎるだろうか。(『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』Bunkamuraル・シネマ、H27年1月〜)
予告編はこちらのボタンから


艾未未(アイ・ウェイウェイ)は、ニューヨークで10年ほどボヘミアンな生活を送っている。現代アートに特有の作法と、アメリカ的自由を身につけたのもこのときだろう。90年代半ばに北京へもどり、アーティストともアートディレクターともつかない、ユニークな活動をはじめている。国際的に名を高めたのは、何といっても北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」の設計に関わってからだろう。
だが彼は、あろうことかこのオリンピックを批判し、中指を立てる独得のサイン(写真)で糾弾しはじめる。2008年の四川大地震では、5000人の幼い犠牲者を出した小学校倒壊事故の責任をめぐって、四川(中央)政府と真っ向から対立する。以来艾の通学カバン等を使った作品の評価は、国内外で大きく分かれていくことになる。
映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』は、こうした彼の騒がしい日常を淡々と映し出している。母や弟への優しい語りかけ、絶え間ない警察とのいざこざ。そうかと思うとテート・モダンのタービンホールを埋めつくしたヒマワリの種を拾う孤独な姿。一億個すべてが陶製の手づくり種という。
どこまでも際限なく不安で、桁外れの世界。同時に、自国の政府を気ままに批判できるわれわれにとっては、かなり理解しにくい部分が残るのもまた事実。杳として得体の知れない大国・中国を、いま鮮やかに切り取ってみせてくれる一編だ。 予告編はこちらのtrailerのボタンから⇒
http://www.aww-ayamaranai.com/

越田乃梨子「夜がしのぶ」2012年
映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』
AI WEIWEI: NEVER SORRY
・2012 Never Sorry, LLC. All Rights Reserved
H25年11月〔シアター〕イメージフォーラム他
全国順次公開

 


映画『キューティー&ボクサー』
映画『キューティー&ボクサー』
©Zachary Heinzerling
©2013 EX LION TAWER, INC. All rights reserved.©

12月21日(土)より、シネマライズほか
全国ロードショー!

ニューヨークには一体どれほどのアーティストがいるのだろう。たまたま知っている日本人だけでも十指に余る。みんな彼の地で塗炭の苦しみを重ね、どうにか芸術家の地位を保っているのだ。なかでもアヴァンギャルドと呼ばれる一徹者たちが苦戦していることは、容易に想像がつく。だがアーティストにつき合わされる「家族の思い」というのは盲点だった。案外見落としがちである。
乃り子さんの場合には、美術家を志して19でニューヨークに渡り、41歳の現代芸術家・篠原有司男と出会う。彼はボクシング・ペインティングと呼ばれるパンチ描法を創出。いまではジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングと並び称されるらしい。(仲間内ではもっぱらギュウチャンといわれ、映画にはグローブ姿も勇ましいボクサースタイルで登場)。勢いで結婚したまではよかったが、あとは生活と出産、育児に振りまわされ、制作どころではなかった。仕送りは止められ、ケンカまたケンカ…。
気がつくと男の児は親の手を離れ、アートと向き合う時間がふたたび乃り子さんにめぐってくる。だがカンヴァスの上に出てくるのは、なぜかボクサーとの壮絶な闘いに明け暮れるキューティー(彼女の分身、ヒロイン)ばかりだ。岡本太郎をして「ひたむきなベラボウさ」と言わしめた、愛しいニューヨークの生活満載の映画である。 予告編はこちらから⇒ http://www.cutieandboxer.com/

 


映画「駄作の中にだけ俺がいる」

映画「駄作の中にだけ俺がいる」から。
監督渡辺正悟(C)ザ・ファクトリー、配給ブラウニー

 

会田誠はドキュメンタリー映画になっても、やっぱり会田誠だ。何か重々しい中身が窺えるわけではないし、かといってご当人がいう「不精ヒゲに、くわえタバコでゴミ出しする、失業中の中年男」という暗いイメージでもない。
「自分を表現したことなんか一度もない」と不用意に口走ってしまう、正直すぎる作家がそこにいるだけだ。子供のころから折り紙つきだった突飛な行動は、彼に否応なく「変態」ないし「社会不適応症」のレッテルを貼る。(それはいま息子の寅次郎君に、そっくり受け継がれているという。)そして、そのコンプレックスをバネに「巨大フジ隊員VSキングギドラ」や「紐育空爆之図」、「切腹女子高生」などの問題作が、次々に生まれてきたと自己分析する。
しかし、いくら動機が単純明快だといっても「サラリーマン」の屍を、数年がかりで何千何万と積み上げるとなるとただごとではない(写真)。そこにはやはり、この人ならではの心優しいフェミニズムが垣間見えている気がする。それにしても、生々しい実生活を切りとる残酷なカメラワークと全編に流れるチェロの響きが、何とも切ない一編だ。 
予告編はこちらから⇒ http://www.aida-artmovie.com/

 

若手アーティストの越田乃梨子さんと渡辺水季さんが、世田谷・弦巻のXYZ collective で映像展「遠くの私、側の私 Myself in the Distance/Me Beside Myself」(H24/11/3-11)を開催した。展示場所で制作し、そのままプロジェクションする、いわゆる映像インスタレーションである。白壁の部屋の隅に素朴な椅子が置かれ、そこに座った女性がそのまま隅に重ねて映しだされていく。部屋を歩きはじめた途端あたりの秩序は崩れだし、やがて彼女は幾重にも分断されていく。
言葉で説明するかわりに、渡辺水季さんの「視線のあいだthe other way around the screen」という作品を紹介しよう。まずスクリーンにちょっとボケた映像が映し出される。観客はプロジェクターの前に虫めがねをかざす。すると不思議なことに、その円形のなかだけ映像がクリアになる。そしてそこに見えてきたのは、何と…。
詳しくはこちら⇒ www.mizukiwatanabe.jp/r_in_v_j.html

越田乃梨子「夜がしのぶ」2012年
越田乃梨子「夜がしのぶ」2012年

 

「アニメ師・杉井ギサブロー」

「アニメ師・杉井ギサブロー」

〈ぎっちゃん〉こと杉井儀三郎は、ディズニーの「バンビ」をみた瞬間に自分の人生が決まったという。動かないマンガは小学校と同時に卒業。東映動画で、日本初の総天然色長編漫画映画「白蛇伝」の制作に参加し、やがて虫プロに入社する。手塚治虫に深く影響を受け、彼を父のように敬愛する一方、臆することなく真っ向から異を唱えもした。手塚の杉井に寄せる信頼は「ぎっちゃんみたいな人が二人いてくれたら」の言葉にもうかがえる。
23歳の若さで日本初のテレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」の演出・作画を担当し、「ルパン三世」のパイロット版を制作。以降「どろろ」、「悟空の大冒険」、「千夜一夜物語」など、常に新しい表現を追及している。1969年、アニメーション制作会社グループ・タックの設立に参加し、劇場映画にも携わるが、やがて10年にわたる放浪の旅に出る…。
そんなぎっちゃんの姿を、ドキュメンタリー監督・石岡正人はつかず離れず追いかけ、孤高の職人魂を克明に記録していく。H24年7月28日から銀座シネパトス、京都みなみ会館でロードショー。 予告編はこちらから⇒

 

「ショーヴェ洞窟壁画」:3Dドキュメンタリー映画

1994年のクリスマス直前、南フランスで三人の探検家たちがとある洞窟を発見。隊長のジャン=マリー・ショーヴェにちなんで「ショーヴェ洞窟」と名づけられた。洞窟の奥には3万2千年前に描かれたと推定される壁画が眠っていた。現在のヨーロッパではすでに絶滅した野生のバイソン、馬、サイ、ライオンなどを含む13種類の動物画260点(総数300点以上)である。
これまで最古とされてきたラスコー壁画の実に2倍以上も古い。そのため氷河期・旧石器時代の洞窟壁画としては稀有なフクロウやハイエナ、豹までもが認められる。しかも仲良く並んだ二つの壁画の制作年代があっさりと5千年も喰い違っていたり、まさに現代の感覚をはるかに超えている。(TOHOシネマズ、H24年3月3日−) 予告編はこちらから⇒ 

「ショーヴェ洞窟壁画」

 

「ブリューゲルの動く絵」

16世紀フランドルの画家ピーテル・ブリューゲル。人間の愚かさを徹底して暴いていく、鷹のような眼(まなこ)を持った巨匠だ。彼の代表作のひとつ「十字架を担うキリスト」をのぞくと、車輪をのせた高い柱が荒野のあちこちに突っ立っている。カラスの止まり木みたいな「あれは一体何だ」。疑問に思った人は、この壮大な絵解き映画「ブリューゲルの動く絵」(レフ・マイェフスキ監督)をみるといい。
スペインからやってきた国王の赤い兵隊によって、異端とされた若者たちが車輪にくくりつけられ、空中高く晒される。その異様な光景はやがて、十字架を担いだキリストがゴルゴダの丘を登る「原風景」へと、観者たちを否応なく駆り立てていく。(渋谷・ユーロスペース、〜H24/2/3)
予告編はこちらから⇒ 

「ブリューゲルの動く絵」

 

「サンピラー」と「ムーンストーン」

「サンピラー」と「ムーンストーン」

森万里子さんの最新インスターレション「Journey to Seven Light Bay」を紹介するビデオが、米国カリフォルニア州サンノゼのAMDM/Adobe Museum of Digital Mediaから届きました。冬至の日(平成23年12月22日)に公開だそうです。
森さんはそのなかで「サンピラー」、「ムーンストーン」と名づけられた流線型の物体を、沖縄県宮古島の岩上と平穏な湾内に浮かべています。天上界と地上を一体化するようにつくられたこれらの半透明の物質は、地球上でわれわれを取り巻く自然の美しさを永く留める証として細長い影を形成し、潮の満ち引きによって色をさまざまに変化させていきます。 ビデオはこちらから⇒

 

二つの球体を手に

二つの球体を手に

善福寺公園を舞台とする野外アート展「トロールの森」は、今年めでたく10周年を迎えた。そのため会場を善福寺池の周辺だけでなく、アートスペース遊工房から桃井第四小学校にまで広げ、大勢の生徒たちとも温かく交流する一大イベントとして展開された。
そのなかで丸山常生は、森の斜面に金属の「矢」を吊るす。そしてそこから地球全体をプリントした大型のバナーを垂らす。彼はその下に立つと、傘を手にやおら回転しはじめた。そして傘はとうとう無残に打ち破られる。
空中を疾走するかのような矢は、明らかに3.11以降のときの流れを暗示し、骨だけにされた傘はホロコースト(大惨事)を指し示しているに違いない。彼は10年目の野外展を突如襲った大震災の理不尽を、このようにあらわしたのだ。丸山常生は手に地球と、それを眺める己れの眼球ともいうべき二つの球体をにぎりしめ、しばし静寂に佇む。
(写真)は渾身のパフォーマンスを終え、メガネをとってようやくもとの自分に戻った瞬間のアーティストである。(H23年11月3-23日)

 

O JUNのクールなつぶやき

絵とは描かれた中身、すなわち物語のことか。描き方の技量のウマイ・ヘタか。それともそれ以外の、トンデモナイ何かが隠されているのだろうか。O JUN(写真)は汗をかきかき、それらすべてを彼自身の坩堝に溶かしこんで、こうつぶやくのだった。
絵は描いたらおしまい 絵は描かなきゃ始まらない 真っ平ごめんの上をやる 画面はもっとも救いのない場所、そこで負けは必至 何とかなるさ、でも何ともならない、チャンチャン 絵は50過ぎたら面白くなってくる、だからそれまでは止めるな 新聞、雑誌、PC画像の切り抜きばかり、実景は描かない 連戦連敗をどこまで続けていけるか 現実とは別のリアリティを求めないと、絵とは遊べないじゃん 絵で何かをするのは無理、そんなことはとうに分かっている 100も200もガッテンだ パッとつかまえてパッと描く とにかく早く描く (金属を被って)自分自身を画材にする みるまえからみる準備は出来ている のっぴきならない物語が必要 でも、お前はもう下ってよろしいと画面がおっしゃる (河合塾美術研究所 Gallery Kart「O JUN 恋と森」展にて、H23年6月18日)

O JUNのクールなつぶやき

 

バスキアのすべて
JEAN-MICHEL BASQUIAT:THE RADIANT CHILD

アンディ・ウォーホル、キース・へリング、ジェフリー・ダイチ、ジュリアン・シュナーベル、ガゴシアン・ギャラリー、アニナ・ノセイ・ギャラリー、メアリー・ブーン。80年代、新しいアートに関心を抱いていて、これらの名前に限りない懐かしさを覚えない者はいないだろう。
そしていつもその熱狂の中心にいたのが彼、ジャン=ミシェル・バスキア(1960-88)だ。ことし生誕50年を迎えたのを記念して、ドキュメンタリー映画「バスキアのすべて」(写真)が封切られる。マドンナが愛し、ウォーホルが嫉妬したと伝えられる天才バスキア。
だが映画は、才能を爆発させる若いアーティストの明るい表情ばかりではない。ほとんど唯一の支援者であったウォーホルの没後、心の拠り所を失い、しだいにドラッグへと溺れていく哀れな姿も残酷に映し出している。人は彼を黒人(アート)差別の犠牲者という。確かにそうだろう。だがNYのアートシーンをいつも遠くから眺めているだけの人々も、別の意味ではまた犠牲者だったのだ。 予告編はこちらから⇒

JEAN-MICHEL BASQUIAT:THE RADIANT CHILD

監督&製作:タムラ・デイビス
2010/12/18−、シネマライズにてロードショー。
配給:CJ Entertainment Japan

 

ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡

第23回東京国際映画祭(TIFF) に上映された唯一の美術映画。それがドキュメンタリー部門に参加したこの異色作品である。作家ヴィック・ムニーズは、すでにnca|nichido contemporary artやトーキョーワンダーサイトでも紹介されている通り、いまもっとも元気なブラジル作家だ。1983年ニューヨークに移住しモナリザ、カラヴァッジョの「ナルキソス」、「マラーの死」、北斎版画など、美術ファンなら誰でも自然に反応してしまうようなテーマで制作してきた。
だがその素材は尋常でない。砂糖、チョコレートシロップ、ピーナッツバター、金属片、枯れ葉、色土といった、一見アートの素材とはほど遠いものにばかり目をつける。その究極の物体がごみの山。一説では世界最大といわれるリオデジャネイロの「夢の島」(ジャウジン・グラマーション)の奥深くに入りこみ、労働者たちと塵芥の回収にとり組む。そして労働者たちにしだいに変化が…。予告編はそうしてめぐり合った女性の一人が、カメラに向かって自らの心境を語る場面である。 予告編はこちらから⇒

ヴィック・ムニーズ 「アトラス(ピクチャー オブ ガベージ)」

ヴィック・ムニーズ 「アトラス(ピクチャー オブ ガベージ)」2008年、
デジタルCプリント、229.9×180.3cm

 

ハーブ&ドロシー:アートは二人でじっくり見定めながら、ひとつずつ慎重に買っていくもの

ニューヨークの郵便局につとめていたハーバート・ヴォーゲル。ブルックリン公立図書館の司書だった妻のドロシー(写真)。二人はコレクションづくりの「鉄則」に驚くほど忠実だ。たとえば目の前に出された小さな1点を理解するため、ハーブは「すべての作品をみせてほしい」という。ドロシーは作品の周辺を徹底調査し、片っ端から「資料化」していく。当節美術館スタッフでさえなかなかやらないことを、実に40年間も実践しつづけたのだ。
明けても暮れてもギャラリーに通った結果、ハーブの給料はほぼそっくり作品に姿を変える。4000点ともいわれるコレクションは、もはや二人の古ぼけた1LDKアパートには入り切らない。トイレの壁にまで絵がかけられ、作品に乗った二人のベッドはしだいに高くなっていく。 つづきはこちらから⇒ 予告編はこちらから⇒

ハーブ&ドロシー

『ハーブ&ドロシー』
監督/プロデューサー:佐々木芽生
2010年晩秋 イメージフォーラムにてロードショー
配給:ファイン ライン メディア/NPO TSUMUGU

 

展示室では滅多にみられない人間模様

美術館の権威とは―それに本来備わっているものではない。美術館に権威があってほしいと願う 一部の人々の、汗と涙によってかろうじて支えられてきたものだ。しからば、そんなことにはまるで 無頓着な市民たちが現れて、美術館を十重二十重にとり囲んだら…。いまの社会ならどこにでも 転がっている、つまらぬジョークだ。
だがオランダの場合にはそれが、誰も笑えない、頬が凍りつくような惨劇に発展してしまった。ドキュメンタリー映画「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」(写真)によると、2004年にスタートした改修工事は、延々いまも続いている。はたして2013年までに再開へと漕ぎ着けられるのか。そしてそれを本当に心配している人なんて、一体どこにいる?予告編はこちらから⇒ 

展示室では滅多にみられない人間模様

8月21日(土)より渋谷・ユーロスペース他全国順次公開
配給:ユーロスペース
(C)PvHFilms2008

 

花に話しかけ、木に耳を澄ませる セラフィーヌ

一枚の絵をながめて熱っぽく褒めるか、逆にまったく評価しないか――この観者の無意識的な 反応の間合いに、アーティストと呼ばれる一群の人々の人生が、ぎゅっと凝縮されている。褒 められた作品は天才の証として大切に買いとられ、華やかな展覧会に並べられる。一方貶され た方はその場に放置され、厄介な荷物となり、やがて廃棄されてしまう。この極端な差、絶望 的な息苦しさは一体どうすればいいのだろう。
この夏封切られる映画「セラフィーヌの庭」(写真)は、無垢なる心は、実はそのどちらにも 存在していないことを静かに語っているようだ。実在した女性画家セラフィーヌは、描くこと に代償をもとめない。自己顕示をもとめない。賞賛をもとめない。そして己れの心の救済さえ 完全に忘れ去ってしまっている。
ただ花に話しかけ、木に耳を澄ませ、その心の赴くままに描きつづけている。セラフィーヌ・ ルイには描くことが喜びで、ただそれだけだったのだ。 予告編はこちらから⇒

セラフィーヌの庭

『セラフィーヌの庭』
8月7日(土)、岩波ホールほか全国順次公開
配給:アルシネテラン
©TS Productions/France 3 Cinema/Climax Films/RTBF 2008

 

ギャラリー映画ならこれでしょう。

ニューヨークのギャラリーを舞台にしたジョナサン・パーカーの作品「Untitled」。そのユーモラスで、ちょっとほろ苦いストーリーはこうである。
バケツを叩いている現代音楽家のエイドリアンは、ある日自分のコンサートで、売れっ子ペインターの兄ジョシュが連れてきたチェルシーの超美人ギャラリト、マデレインと知り合う。(彼女は予告編のvideosにも登場)。マデレインはエイドリアンに、インスタレーションアートの巨匠レイ・バルコのオープニングで、一曲演奏してくれないかと持ちかける。 二人はやがて恋に落ちていくが、エイドリアンにはいま一つコンテンポラリーアートの世界が分からない。そんななかマデレインは、ジョッシュに取扱い作家終了を宣言。怒ったジョシュは、倉庫から自分の大作を運び出し…。
ギャラリーとアーティストの古くて新しい関係。売れるアートとミュージアムに入るアート。そして歴史に残るアートと、さまざまなことを想わせる映画である。日本での上映は、美術ライターの藤田千彩さんがyuka contemporaryのフィルム・イベント(3/24-27)として実施。近々劇場でも、観られるようになるかもしれない。 予告編はこちらから⇒

ギャラリー映画ならこれでしょう。

Parker Film Company
1101 Fifth Avenue, Ste. 300
San Rafael, CA 94901
415.456.4465

 

「ミュージックビデオ」花盛り

今年の「文化庁メディア芸術祭」は、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門から成っている。それぞれの出品作は、現時点でメディアとの接点をさぐり、なんとか新しい関係を築こうと奮闘の跡が生々しい。玉ねぎの茎をスキャンし、樹脂で立体化してみせるデイヴィッド・ボーエンの「growth modeling device」などは、その典型だろう。だが会場をリードしたのは、強大なテクノロジーに健気に立ち向かうシステマティックな(つまりメディア寄りの)作品だけではなかった。
ビートの利いた電気グルーヴのミュージックに、奇跡といえるほどアップテンポのリズムをシンクロさせ、エッシャーさながらのエンドレスイメージへと持ちこんだミュージックビデオ「Fake It!」(写真)。あるいは無数のウェブカメラの動画を、たくみにグリッドへ集合させてみせた「日々の音色」なども、表現の斬新さで注目をあつめる存在だった。(H22年2月)

『電気グルーヴ/Fake It!』

 

『電気グルーヴ/Fake It!』
田中秀幸
©2008 ki/oon Records Inc.

music videoはこちらから⇒  

 

美少女フィギュア BOME展“プシューケー”

美少女フィギュア BOME展“プシューケー”ボーメさんといえば立体模型製作会社・海洋堂の社員にして、その名を広く知られた造型師である。世界で初めて美少女フィギュアを手がけたパイオニアで、20年以上この道一筋につくり続けてきた美少女は、実に200体以上にのぼる。
そのボーメさんが、いま東京・広尾のKaiKai KiKi Galleryで作品を発表している。フィーチャリング作品はほぼ等身大の「鬼娘」だが、会場にはこれまでの傑作の数々もあわせて並べられた。2003年の「ピースメーカー」ボーメスケール(写真)などにもボーメさん独得のあどけない表情と、思いきりよくデフォルメされたチャーミングラインが窺われる。2Dアニメの少女たちを3次元化することによって、さらに一層魅力を倍増させる特異能力は、ここでも遺憾なく発揮されているようだ。(H21年12月22日)

 

「0円均一」

「0円均一」 高島亮三さんエコビジネスの芽を育てようと環境省などが主催する「eco japan cup 2009」のエコアート部門で、高島亮三さんが準グランプリに輝きました。受賞作は、毎回完売をめざす「0円均一」ショップ。写真(朝日新聞、H22年1月28日)のとおり力強いデザインで、自宅前などいくつかのお店で開催されています。

 

トロールの森2009

毎年善福寺公園を舞台にして行われてきた野外アートイベント、トロールの森。今年も遊工房アートスペースのオーナー村田達彦さんが掲げる「アートツアー」の旗に導かれて、サービスセンター前を出発し、聖地巡礼が行われました。多様な試みのなかで、もっとも注目されたのは高島亮三さんの「アートマンシップ」。(写真:美術に携わる者による船、美術家魂のことだそうです)。
トロールの森2009
善福寺池のほとりから湧き出る「遅野井の水」を、そのまま地中に吸いこませず、人力で池・善福寺川まで運んで流してあげようというとてもエコなプロジェクトです。透明な容器による水の航行(背負っての運搬)は一日4往復。日曜日は多少見物人もいるので8往復に増便となります。もしみかけたら、みんなで手伝ってあげましょう。
(H21年11月1日)

 

ライブ・ペインティングmagical, TV開催(六本木スーパー・デラックス)

恵比寿のギャラリーmagical, ARTROOMが開設3周年を記念して、六本木の多目的ホール/スーパー・デラックスで「LIVE PAINTING BATTLE ! !」を開催しています。ミュージック、パフォーマンス、映画とジャンルを分けて、毎回magicalお薦めのアーティストが紹介されていく、かなりスリリングなアートイベントです。会場の様子は[MTV]として、スペースシャワーTVのネット番組DAXで生中継されています。
愛☆まどんなのライブ「ブルマーちゃん」10月6日はFRESH、MOG RAG GARAGE×20TN ! 、愛☆まどんな×コバルト爆弾αQ、 magical, ARTROOM、遠藤一郎×CRAFTIVE など5組が登場。サウンドとどろくなかで壮絶なペインティング・バトルをくり広げました。なかでも愛☆まどんなのライブ「ブルマーちゃん」(写真)は、描写テクといい踊りといい、なんとも秀逸。全員総立ちの手拍子状態でした。

 

水都大阪2009・レポート

水都大阪2009・レポート先週、「水都2009」に ART BASE NULL(泉南市の共同アトリエ)からワークショップとして参加しました。
タイトルは「曲水の宴」。言の葉ながしで、こども達に短文を書いてもらい、その文をバラバラにして流水に流します。この言葉の断片を釣竿で釣って並べ替え、文章を作ると言う遊びです。
面白い文が出来ましたが、「人生は、どぶの味」には驚かされました。(by ウエダリクオ)

 

東京造形大学2年生のみなさん、こんにちは。

美術評論家の勅使河原 純といいます。今週、美術家の前沢知子さんが、みなさん(の一部)に授業を行い、そのなかでこのHPをとり上げてくれるというので、私からも一言コメントさせていただきます。
前沢さんのワークショップは、子供たち、ご両親、インストラクターが一体となって、文字通り絵具に体当たりしていくものです。胸のすく爽快さで、その実かなり壮絶な試みでもあります。そのなかで大学や美術館というルール尽くめの冷たい建物が、人の心に触れるあたたかい場所へと変貌する。そんなことをみんなで体感する、摩訶不思議なアプローチではないでしょうか。

(H21/9/10)

 

前沢知子のワークショップ第2弾(東京造形大学)

 7月19日、東京造形大学のオープンキャンパスで、未来のアーティストに向けた企画として、ワークショップ「お絵かき革命-からだで描こう!」が行われました。建物最上階のガラス張りの空間で行われたワークショップは、ガラス越しに空と緑を眺めながらの優雅なひとときでした。そして、お絵かきが進むにつれ、まるで天空に浮かぶように、色彩の空間があらわれました。
「子どものお絵かきは、手の動きという身体の発達から。子どもの身体の動き、それはまさに表現活動の始まり。・・・前沢知子のワークショップ第2弾(東京造形大学)絵の具まみれになりながら素手素足で寝転ぶ、歩く・・・」

 表現活動の始まりとしてのお絵かきを、美術大学を舞台に存分に楽しみました。(by TM)

 

鷹野隆大の公開制作 (府中市美術館)

鷹野隆大の公開制作 府中市美術館府中市美術館で行われていた写真家・鷹野隆大の公開制作が、2009年7月20日に終了しました。美術館に暗室をつくり、市内で撮ったフィルムをそこで印画紙にプリントしていきます。暗室は出入り自由なので、気鋭作家のプリントワークが目の前のライブで楽しめるというわけです。写真はその成果の展示風景です。
最終日には画家・薮野健さんが駆けつけて対談会がありました。こちらは、「写真日記」というアプローチからも伺われるとおり、日常の何気ないイメージにさらりと反応してみせる写真家と、風景の背後(というより前面かも)に潜む記憶と建築にトコトンこだわる絵描きの、ときに噛み合わず、ときに行き合おうとするやりとりが絶妙でした。
それにしても、あの中世が染こんだような摩訶不思議な薮野絵画のベースは、やっぱり建築史家の眼だったんですね。いまごろ気づくなんて、といわないでください。

 

前沢知子ワークショップ (三鷹市美術ギャラリー)

前沢知子ワークショップ 三鷹市美術ギャラリーお勤め帰りの人にも、ふらりと立ち寄ってもらえる、ちょっとお洒落なアートスポット。そんな親しみやすい感じで、三鷹市美術ギャラリーは平成5年10月、JR三鷹駅の真ん前に誕生しました。つい先ごろまでアイオーさんの「レインボー喜寿」という斬新な展覧会をやっていたのですが、その会期中に画家・前沢知子さんのワークショップ「描いて積んで おもいっきり空間体験」が行われました。ご本人からJAOに、そのときのレポートが寄せられたのでご紹介します。

このワークショップは「ドロッピング技法」を中心に「絵の具体験」と「空間体験」をテーマに行われました。会場は30メートルの展示空間で、その長い床一面にプールのように白い紙を敷きつめ、その上に中が空洞でキューブ状の白い立体(一辺40cmの正方体と立方体)を30個並べ、そこで自由にドロッピングを行いました。そして、子どもたちはそのキューブを巨大な積み木のように、自由に移動させたり積んだりしました。
三鷹市美術ギャラリー子どもたちの発想とパワーが加わり、塔や門、迷路のようなトンネル、そして壊す家、捨てる家までできました。子どもの動きの痕跡が色彩となって現れ、平面に描いていたものが、子どもの動作によって立体になります。平面(2次元)が空間(3次元)へ変わります。2次元から3次元の体験です。

 

メキシコ20世紀絵画展 (世田谷美術館)

太陽と革命の画家たち、限りない祖国への情熱――ということで、もうすぐ「メキシコ20世紀絵画展」が開かれます。このところメキシコというと新型インフルエンザのニュースばかりで、あまりパッとしなかったのですが、実は知る人ぞ知るアートの王国。ムラリスモ(大壁画運動)の次は、愛に生きた女流画家フリーダ・カーロで国際的にも大ブレークしましたよね。今回の展覧会でも名作「メダリオンをつけた自画像」が出品されるというから、いまから大いに楽しみです。

メキシコ20世紀絵画展 世田谷美術館




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