近くの川から水が引かれ、水面には無数の睡蓮が浮かべられ、池のなかほどに日本風の太鼓橋がかけられたことはいうまでもない。そのほとりに三つ目の、ガラス天井を備えたアトリエが建てられる。後にオランジュリー美術館の円形展示室を飾ることになる「大装飾画」の制作もはじまる。ことによるとクレマンソー首相の懇願を容れて、「大装飾画」をフランス国家に寄贈するため、≪睡蓮≫シリーズの制作とそのモティーフである池そのものの拡張作業が、追っかけっこで進められていたのかもしれない。
何がどうなろうと私はここで、四季折々に変化していく睡蓮の水面を最後まで描きとるのだ、という思いがひしひしと伝わってくるではないか。
私の庭は、愛情をかけながらゆっくりと作り上げられる一つの作品である。そして私はそのことを誇りに思っている。 1924年
当然のことながら、それを言葉以上にあらわしているのが彼の作品だろう。「ジヴェルニーの庭」(1922-26年、写真)をみると、明るい草木から受けたファースト・インスピレーションが、赤と黄色の絵具に託して思うさまぶちまけられている。たとえそのタッチがそのまま仕上げにつながるものではなかったにせよ、画家は本能の赴くまま遊び興じ、もはやブレーキなしで行くところまで行ってしまったとの感が強い。これこそ画家にあたえられる至福の季節(とき)というべきだろうか。(マルモッタン・モネ美術館所蔵『モネ展』、東京都美術館、〜H27年12月13日)
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