ルカス・クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」1537年
えっ! と驚くことだが、今回の催しはわが国で初めての「ルカス・クラーナハ展」だという。1472年、ドイツのクローナハに生まれた一人の画家により、以後のアートワールドがどれほど散々に惑わされてきたことか。まさにクラーナハ(父・1472-1553)のヴィッテンベルク工房が仕掛けた戦略通りといえよう。
それにしてもだ。彼の描く女性たち(それはユディト、ユスティティア、サロメ、ルクレティア、ヴィーナスなどしばしば神々しいまでに潔癖で、ひどく怖い存在でもあるのだが)の蠱惑的な魅力は、一体どこからやってくるのだろう。愚問であることを百も承知しながら再び問わずにはいられない、五百年もつづく凡夫の悩みをお察しいただきたい。以下は、私が思い到ったクラーナハ美女の共通点である。
- 陶器のように白く艶のある肌 そしてそれを最大限生かしている黒バック
- ボディラインの括(くび)れ 仄かにふくよかでありながら、筋肉質でも肥満でもない
- 醒めていながら焦点の定まらない眼差し どこを見て、何を考えているのかまったく分からせない視線
- ニコリともしない無表情 意志や感情の表出は誘惑の敵
- 真一文字に結ばれた口元 微塵も媚びないサディズムとしばしばの男っぽさ
- しっかり束ねられ、額に垂れてこない髪の毛 流行を超えた究極のヘア・デザイン
- パントマイムのように暗示的なポーズ もともとの出所は聖書の宗教画
- 裁判、判決、処刑 理知的でときに残酷な行為、すなわち近代法治国家の芽生え
- 小品であること 小さいこと、軽いことにこめられた可愛らしさと商品性
- 黄金に光る小道具 金属製の小道具や装身具の登場は、資本主義と宗教改革への導入口
- 存在を示唆しているのに、まったく描かれない衣裳 局部への視線の誘導はすなわち、究極の惑わし法
そしていうまでもないことだが、これらすべてはルカス・クラーナハによって計算しつくされた演出であり、磨き抜かれた描写なのだ。エヴァに試されるアダムは、はたして一体どこまで耐え抜くことができるのか。浮世絵と同様、もとより完璧なるエロティシズムに甘ったるい取引きと妥協の入りこむ余地はない。(国立西洋美術館、〜H29年1月15日)
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