○「ゴーギャン展」
久方ぶりのゴーギャン展で、いやが上にも期待は高まる。今回の目玉は、何といっても大作「我々はどこから来たのか〜」(1897-98年)の登場だろう。主催者側の話では、この作品をボストン美術館から借り受ける出品交渉は、かなり難航したらしい。
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人が自らの死を意識する。己の人生をふり返り、あたかも厳格な試験官がそれに評定を下すように、ひどくよそよそしく採点する。思わず口を衝いて出る言葉は、たいそう哲学的だ。
我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
この難解な問いによって、ポール・ゴーギャンはこういいたかったのではなかろうか。時代が「我々」、すなわち彼へと突きつけた課題には、そのつど誠実に答えてきた。だがしかし、わが身をかえりみることなくやってきた、その努力の結果得られたものといえば、画壇をあげての無視と嘲笑、そして挙句のはての貧困や病苦だけだったのではないか。眼の感染症、右足首の骨折、湿疹、梅毒、たびたび襲ってくる心臓発作、愛娘アリーヌの死…。
暗くやりきれない想いが、老画家の胸を締めつける。「描き方がぞんざいで、仕上がっていない、と言われるかもしれない。人間、自分で自分をよく判断できないのは本当だ。しかし私は、この作品がこれまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同様のものも、決して描くことはできまいと信じている。私は死を前にして全精力を傾け、ひどい悪条件に苦しみながら、情熱をこめてこれを描いた」(1898年、明治31、冬)。
誰に依頼されることもなくとり組まれた大作。建築という母体を持たない大壁画は、ゴーギャン自身がつぶやく問いかけさながらに、東京の梅雨空に、ぽつんと宙吊りになっているのだった。
(東京国立近代美術館 2009年7月3日−9月23日)
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