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とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」

 

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○ ブリューゲル「バベルの塔」展

「トーマス・ルフ展」

1560年代のピーテル・ブリューゲル1世になったつもりで考えてみよう。テーマは旧約聖書の≪創世記≫第11章に書かれている物語だ。人類はその名声を高めようとして、天にも達するほどの巨大な塔を赤いレンガでつくりはじめる。神はこれをご覧になって、人類が自らを万物の創造主たる神だと勘違いしているとして、これを壊される。しかも以後作業ができないよう言語をバラバラに攪乱させてしまったというのだ。

この可笑しくも哀しい説話を絵にしようとすると@ 巨大な塔の建設風景、A 塔が壊れていく有り様、B 言葉が乱れて人類が困り果てている様子ぐらいしか、とり上げるべきシーンはないだろう。Bは一瞥でそれと分かる図柄にはなるまい。A は壊れ方が問題だ。神の意志とはいえ、雨風の破壊力では絵として物足らない。さりとて迫りくる巨大地震や津波の恐怖を、画面上にあらわすのは至難の業だ。
そこで採られたのがローマのコロッセオを思わせる、巨大建築物それ自体の怖ろしさを強調する手法ではないだろうか。螺旋状の階段が反時計まわりに渦を巻いていると錯覚させるような楕円形にしたり、時代様式の違う柱や窓をつけたり、内部をあえて空洞化しないなど、それらしき工夫は随所にみられる。
そして極めつけはウィーン美術史美術館の「バベルの塔」(1563年)も、ボイマンス・ファン・べーニンゲン美術館の「バベルの塔」(写真、1568年頃)も、建物それ自体がほんのわずかだが左へ傾いていることだろう。視覚的には5.5度(現在は3.99度)右へ傾いて、回転モーメントが働いているピサの斜塔に優るとも劣らない印象だ。
労働者たちが大型クレーンでレンガや漆喰を運び上げるにつれて、建物倒壊の危険性は間違いなく増大しているのだ。ちなみに後続のファン・ファルケンボルフといった画家たちが描いた「バベルの塔」(1594-95年)には、そうした心配はなさそうである。
(東京都美術館、〜平成29年7月2日)

★★★★★


◯ 草間弥生の真実

『草間弥生 わが永遠の魂』展に足を運び、改めてそこに伝説の前衛芸術家・草間弥生の真実をみた思いがする。圧倒されたのは、「圧倒されるはず」の大仕掛けな部屋ではない。穏やかで平和なキャッチフレーズにみえた水玉が、最初期の女性像(1939年)の顔全体をまるで痘痕のように被い尽くしていたからである。偶然これをみて驚いた精神科医の西丸四方は、以来彼女の作品を購入し、助言するようになったという。

「ダリ展」

水玉はほどなくして、痙攣し切ったギザギザ模様に周囲をかこまれるようになる。無数のソフト・スカルプチュア(すなわち男根)や「魂を燃やす閃光A.B.Q」(すなわち精子)に、びっしりととり囲まれた彼女の脅迫観念(オブセッション)はいかばかりのものであったろう。もはや幻覚の無限増殖を押し留めることなど、出来ようはずもない。
恐怖心が高まるにつれて、水玉はしだいに眼へと変貌しはじめる。「見るぞ、見られるぞ」とあらゆる方向から監視の視線が投げかけられる。1950年代の前半、コラージュの時期に彼女の眼は魂そのものにまで昇華して、宇宙へと漂いはじめる。鏡のなかで無数に瞬く星々。その中ほどで重力にも引力にも見放されたまま、魂は妖しい閃光を放ちつづけるのだ。この年代特有の沈潜した美を身にまといながら、やがて全てはブラックホールに呑みこまれていく定めなのだろうか。
こうして草間のアートは始めもなければ終わりもなく、進歩もなければ後退もない。ただその時々の欲動だけが存在する不思議なリズム(無限円環)へと辿り着く。魂の安息、あるいは「自己消滅」(写真1967年)への憬れ、はたまた美術アートへとスルリと姿を変えた不滅願望とでもいったらいいのだろうか。必死になってそれらにまとわりつくかのように、同じ行為が繰り返されていく。
一度画面の縁から描き始めると、グルグルまわして完成するまで筆を置こうとはしない。インフィニティ・ネット・ペインティングの線分にしろ、バイオモルフィズム(生命形態主義)のドットにしろ、彼女の場合にはいつだって同じ作業が反復されるばかりなのだ。
(国立新美術館、〜平成29年5月22日)

★★★★★


○「並河靖之七宝」展

「トーマス・ルフ展」

美術アートのなかでも工芸作品は、とりわけ技術・技法が決定的に優劣を分かつ重要なポイントとなる。その意味で並河靖之(1845-1927)の有線七宝は、明治期最大の実績を挙げた輝かしき成功例として記憶されるだろう。
今回はその〔息を呑む〕ばかりの魅力が全開となり、ある種の諦めをも含んだ〔溜息として再び吐き出されて〕くるような思いに駆られる展示となった。これほどまでの高みに登ったアートが、何ゆえに短命で終わらざるを得なかったのか。時代とともに技術・技法は滅びて、いつしか忘れ去られてしまう。後に残るのは真に美術アートだけというお話なのかと。
以下は私が、美術館のなかを彷徨い歩いているあいだ中、反問しつづけた溜息である。

輝く黒地の生成/ガラス質釉薬の化学的生成への敬意。よって、完璧な流線形を強調する
            曲がり部分の光沢・反射光がわけても見事であった。
黒地の余白/完璧な黒地がもたらす無限空間は、いつの時代も脱地上的な広がりを感じさ
            せる。
模様パターンから絵画へ/左右対称ではなく、わが国美術工芸品独得の正面性と裏側の
             ある図柄が印象的。(写真参照『四季花鳥図花瓶』1899)それによりメイン
             モティーフが一層際立つ。写真術など明治期の多くの美術ジャンルで認
             められた「絵画化」が、ここでも通奏低音となっているのは明らか。その
             結果、模様パターンがしばしば陥る退屈さが、ここでは見事なまでに克服
             されている。
有線技法への拘り/図柄を目いっぱい浮き立たせる視角効果は絶大。このようにして、 工芸
             の近代化は成し遂げられていったのかもしれない。
細密性/緻密な手仕事というより、ほとんど顕微鏡的精度のテクノロジーといっていい。
アールヌーボー・アールデコ/やはり海外の美術動向への不断の関心と呼応が、いつまでも
             古びを寄せつけない秘訣か。
仕上げの見事さ/丁寧な仕上げと滑らかな表面。すなわち砥石や鹿の角、木炭、木賊、弁
             柄などを使った段階的研磨・艶出し技術は、日本のお家芸だった。
焼成/無限にくり返される焼成作業への情熱は、一体どこからやってくるのだろう。
装飾/付随する装飾品を生み出す彫金技術の確かさ。これこそ並河七宝の隠し味だと思う。
愛玩性の強調/作品をあえて小振りに留めた国際感覚とグローバル戦略。小さな不思議な
             国からの「贈物」的イメージの創出は、何と見事なことか。そんな視点を
             なぜに元武士たちが獲得できたのだろう。
万国博覧会に標的を定めた国際的販売戦略/販売店を構え、工場生産に踏み切った工芸の
            輸出産業化は、国策ゆえの既定路線であったのだろうか。
古今の図柄の活用/正倉院御物をも想起させるシルクロード的異国趣味。古代的描写によ
             る花、蝶、鳥、神獣などの巧みな引用。江戸趣味を髣髴させる洒脱・粋・
             韜晦の復活。そこには言葉にならない明治期特有の呼吸があったのかも
             しれない。
金属地の隠蔽/口を小さくしたり、蓋をつけることによって中をみせない工夫が感じとれる。
             皿よりも鉢よりも、どこまでも壺を溺愛して止まない形態嗜好は当然の
             帰結というべきか。
シャープな形態/風船に空気を入れ、膨らませて成形したとしか思えない不思議で魅力的
            な流線形。下手に形を意識させない分だけ、なお一層巧みということなの
             だろう。

(東京都庭園美術館、〜平成29年4月9日) 

★★★★★


○「クラーナハ」展

「クラーナハ」展
ルカス・クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」1537年


えっ! と驚くことだが、今回の催しはわが国で初めての「ルカス・クラーナハ展」だという。1472年、ドイツのクローナハに生まれた一人の画家により、以後のアートワールドがどれほど散々に惑わされてきたことか。まさにクラーナハ(父・1472-1553)のヴィッテンベルク工房が仕掛けた戦略通りといえよう。
それにしてもだ。彼の描く女性たち(それはユディト、ユスティティア、サロメ、ルクレティア、ヴィーナスなどしばしば神々しいまでに潔癖で、ひどく怖い存在でもあるのだが)の蠱惑的な魅力は、一体どこからやってくるのだろう。愚問であることを百も承知しながら再び問わずにはいられない、五百年もつづく凡夫の悩みをお察しいただきたい。以下は、私が思い到ったクラーナハ美女の共通点である。

  • 陶器のように白く艶のある肌  そしてそれを最大限生かしている黒バック
  • ボディラインの括(くび)れ  仄かにふくよかでありながら、筋肉質でも肥満でもない
  • 醒めていながら焦点の定まらない眼差し  どこを見て、何を考えているのかまったく分からせない視線
  • ニコリともしない無表情   意志や感情の表出は誘惑の敵
  • 真一文字に結ばれた口元   微塵も媚びないサディズムとしばしばの男っぽさ
  • しっかり束ねられ、額に垂れてこない髪の毛   流行を超えた究極のヘア・デザイン
  • パントマイムのように暗示的なポーズ   もともとの出所は聖書の宗教画
  • 裁判、判決、処刑   理知的でときに残酷な行為、すなわち近代法治国家の芽生え
  • 小品であること   小さいこと、軽いことにこめられた可愛らしさと商品性
  • 黄金に光る小道具   金属製の小道具や装身具の登場は、資本主義と宗教改革への導入口
  • 存在を示唆しているのに、まったく描かれない衣裳   局部への視線の誘導はすなわち、究極の惑わし法

そしていうまでもないことだが、これらすべてはルカス・クラーナハによって計算しつくされた演出であり、磨き抜かれた描写なのだ。エヴァに試されるアダムは、はたして一体どこまで耐え抜くことができるのか。浮世絵と同様、もとより完璧なるエロティシズムに甘ったるい取引きと妥協の入りこむ余地はない。(国立西洋美術館、〜H29年1月15日)

★★★★★


○「ダリ展」

スキャンダラスな図像で20世紀アートを烈しく揺さぶったサルヴァドール・ダリ(1904-1989)。その画面はいつみても、われわれに新たな感興を呼び覚ましてくれる。国立ソフィア王妃芸術センターなど世界三大ダリ・コレクションに加え、「アンダルシアの犬」、「黄金時代」といった多数のモノクロ映像作品が集められた今展では、ひときわ彼の創造力の奥深さが目立った。

「ダリ展」

なかでも眼が釘づけとなったのは、縦横70センチばかりの「姿の見えない眠る人、馬、獅子」(1930、写真)と題された、やや小ぶりな油彩画の一点である。作品のまえに立つと、やにわに黄色い砂漠のなかに佇む一頭の馬がみえてくる。左を向いたその口は、5本の指らしきものを丸めて巧みに模(かたど)られている。
それから豊かな乳房の表出によって、仰向けに寝そべった裸婦がみえてこよう。ここでは在るようで無い、無いようで在る彼女のベッドがやはり重要だろう。そこから注意を逸らすため、わざわざ砂漠のなかほどに長方形の台座が用意されたのかもしれない。
さらに目を凝らすと、馬の尻尾のあたりからライオンの咆哮する頭部が浮かび上がってくるではないか。これはこれはと思いはじめると、もはやダリの術中にすっぽりと嵌っていること間違いなさそうだ。
そして仰向けに寝そべっている裸婦とみえた肢体は、何と両足を大股開きにして、こちらに陰部をみせている裸婦の下半身でもあるのだ。ご丁寧に、そこを不思議そうに覗きこんでいるのは、馬の尻尾で模られた清純な少女の横顔である。裸婦の上の方に何気なく転がっている石のようなものは、横に長く引き伸ばされたとある紳士の頭部にみえなくもないが…。
そもそも馬とライオンは、大自然のなかでは弱肉強食の関係に他ならない。この絵が描かれたころ絵描きは、フランスの詩人ポール・エリュアールから、その美しい妻ガラを無理やり奪いとっている。さてこの絵の<姿の見えない眠る人>が暗示している、いかにもガラらしき人物は、果たしてライオンに喰われてしまう哀れな餌食なのだろうか。それとも若いハンサムな天才画家ダリを手玉にとって、残酷に喰いつくしてやまない野獣の化身なのだろうか。(国立新美術館、〜H28年12月12日)

★★★★★


○「トーマス・ルフ展」

「トーマス・ルフ展」

情報化社会と呼ばれる世の中で暮しているわれわれにとって、映像はきわめて重要な要素だろう。それなしでほとんどのコミュニケーションは、成立しないといってもいい。だが口惜しいことにわれわれは、その映像がいまもっとも疑わしく、スキャンダラスであるという事実に気づいてしまっている。
カメラで撮られる映像が、画素(ピクセル)といわれる受光体素子のデジタル信号に置き換えられた途端、いついかなる加工も意のままになったのだ。否、厳密にいえば撮影者・制作者の意図的な操作が施されていない映像など、もはや世界のどこを探しても皆無だろう。
そのことをドイツの写真家トーマス・ルフは(1958〜)「アザー・ポートレイト」というシリーズで雄弁に物語っている。どこにでもいるかに思えるひとりの青年(写真)は、実際には存在していない。

なぜかといえばこれは、警察博物館の保管庫に眠っていたモンタージュ写真合成機を使って、四枚の写真を光学的に組み合わせてつくられたものだからだ。
つまり実在の人によって生み出されたポートレイトが、その人との関係でそこに在るという単純な状況はいともたやすく崩れ去り、合成で偶然生み出された映像によって、人々はその像との近似性を徹底的に問い詰められていく。極端な話、監視カメラのぼやけた映像が、日々刻々人々を死に追いやっているのだ。
ミサイルが飛び交う湾岸戦争の夜景は、優雅な花火となり、殺人現場の報道写真が一家団欒の図と読み替えられることなどわけはない。そしてわれわれが日ごろ目にする、ミクロとマクロが混在した映像の多くは、肉眼視を大きく逸脱した、いわば幻視の画像ばかりなのである。
(東京国立近代美術館、〜H28年11月13日)

★★★★★



○「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展

産婦人科の診察室を除けば、そもそも生活のなかで「受胎告知」されるのは乙女ではない。強いていえば、彼女と一発やってしまった(あるいはヨセフのようにまだやっていない)男の方だろう。
だから人々が、レオナルド・ダ・ヴィンチやフラ・アンジェリコの絵に描かれているような、厳かで清澄な「受胎告知」を目にすることはまずないといっていい。ましてやヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90年頃−1576)が描くような、道具立ての揃った由緒正しい「受胎告知」(写真、1563-65年頃)となると、絵画のなかでさえ目にするのは容易でない。
「道具立ての揃った」とは、こういうことだ。ある日マリアが椅子に腰かけ、何気なく本を読んでいると、向こうの方からやや小太りの青年(大天使ガブリエル)が白百合を手に、背中の重そうな翼をバタバタとさせながら駆け寄ってくる。あわやぶつかるかと思ったその瞬間、素早く立ち停まって両手を胸の上で交差させ、「あなたは受胎します」と口早に叫ぶ。

「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展

さっぱり要領を得ないマリアは、訝しそうな視線を大天使に投げて返す。それもやむを得まい。こんなにも急で、サプライズに満ちた出来事だったのだから。大天使は苛立ちのままに「何って鈍い人」とつぶやくかわりに、人差し指を天に向かって突き立てたのだった。
見上げると天は真っ二つに裂け、そこから聖霊をあらわす白い光と純白の鳩が飛び出してくるではないか。いまにもマリアの頭部へ激突しそうである。そう、鳩が体現している聖霊こそマリアの身体に入り、その子宮へと到達する「生神女福音」、つまり聖霊受胎の主役だったのだ。
興味深いのはこうした成り行きに対する、マリアその人の態度だろう。もう一度名作の画面に戻ろう。レオナルドのマリアは、宣誓らしきポーズで「当然よね」と微動もしない。フラ・アンジェリコでは、「ご、ごめんなさい」と回廊の奥で縮こまっている。ボッティチェリでは右手をグィと突き出して「あいゃ、待たれい」と拒絶の姿勢。エル・グレコでは「ひぇー」と呆然自失。シモーネ・マルティーニになると、すっかりすねてしまって「勝手にしてよね」とばかりにソッポを向いている。
そしてわがティツィアーノの場合には、「何よ、藪から棒に。せっかくいいとこ読んでいるっていうのに」といわんばかりの、クールな無関心さだ。祝祭都市ヴェネツィアでは、最早「受胎告知」でさえ織りこみ済みの、日常的なイベントに過ぎなかったのだろうか。(国立新美術館、〜H28年10月10日)

★★★★★



○「ポンピドゥー・センター傑作展」
−ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで−

「ポンピドゥー・センター傑作展」

線描と白黒の諧調からなるデッサンは、もののフォルムをもっとも正確かつ立体的に表現してくれる。これは美術アートの世界では、ほとんど議論を俟たない事実といっていい。一方豊かな彩度(純度)や色相をもつ色彩が、いっさい立体をあらわさないかというと然に非ず。
明るい部分は前に突出してみえ、鮮やかなところも出っ張ってみえる。そして赤は青よりずっと前進的であり、色彩はそれ自体かなり空間性にあふれた要素といえるだろう。美学辞典によると印象派が出現してくる少し前まで、この色彩の遠近法的機能はvaleur(色価)と呼ばれて大いに評価されていたという。
つまり絵画は、このデッサンと色彩の特質(色価)をうまく組み合わせて、平面上に立体を描きあらわすというイリュージョンをやってのけていたのだ。だが、それでは色彩から明度、彩度、色相という変化を奪い去り、ただ一色の無限の広がり、つまり仮象色に還元していったら絵画は一体どうなるのだろう。

この破天荒な試みに挑んだのがフォーヴィスト(野獣派)たちだった。なかでもアンリ・マティス(1869-1954)は何気ない室内の壁や天井、床、テーブル、果物などからドンドン固有色をとり上げ、容赦なく鮮やかな赤一色で塗り潰していく。その結果は、室内にある物の形がみえにくくなっただけではない。何と時計からは針が消え、室内風景を支えていた時空そのものが、どこかへと吹き飛んで行ってしまったのだ。
今回ポンピドゥー展に出されているマティスの「大きな赤い室内」(1948年、写真)をみると、絵画は今まさに伝統的な時空の縛りを離れようと、椅子もテーブルも敷物の毛皮たちすらユラユラと空間に漂いはじめている。フォルムの属性とさえみなされていた色彩に、これほどまでに自律的な野獣性があったなどと、一体誰が想像し得たことだろう。(東京都美術館、〜平成28年9月22日)

★★★★★



○「バロン住友の美的生活−邸宅美術館の夢」展

いきなりですが、クイズを一つ。日本で最初にできた、西洋美術・近代美術を含めて展示する施設はどこでしょう。
答え)国のものとしては国立西洋美術館が1959(S34)年4月に発足しています。しかし私設のものとしては、それより30年近くまえの1930(S5)年に大原美術館が誕生しています。でもミュージアムという名称にこだわりさえしなければ、さらに30年近く前の1903(M36)年に、住友家の須磨別邸が完成しています。実質的にいえば、これがわが国で最初の「西洋美術館」でしょうね。

「バロン住友の美的生活−邸宅美術館の夢」展

その特色はイギリスの富裕な邸宅を再現し、そのなかに美術品を飾って、いわば西欧の人々がアートを楽しんでいる日常をそのままわが国に将来してみせたことです。西洋美術をコレクションする美術館は、多かれ少なかれ西欧の雰囲気をただよわせているものですが、ここまで徹底させたのは須磨別邸とアール・デコで有名な東京都庭園美術館(朝香宮邸としての完成は1933年)ぐらいのものではないでしょうか。
玄関を入ると大広間の正面にJ.P.ローランスの「ルターとその弟子」、わきにデリアッツの「森」、大食堂にはモネの「モンソー公園」、「サン=シメオン農場の道」、居間にはアンリ・マルタンの「斜陽」といった具合です。さらに二階に上がると寝室にはラファエル・コランの「裸体美人」と黒田清輝の大作「昔語り」、化粧室には同「朝妝」が恭しく飾られていました。まさに、外光派と呼ばれた当時の最先端美術のオンパレードです。
そのころの〈写真〉をみると、食堂といっても装飾性豊かな椅子やテーブルが並び、窓には無数のカーテンがかけられた豪壮な社交場といった佇まいです。夕食時には皆タキシードなど正装に身を固め、英国人家庭教師リチャードソンを加えてもっぱら西洋料理をいただいていたといいますから、いまの「美術館」以上にさぞ敷居が高かったことでしょうね。(泉屋博古館 分館、〜H28年8月5日)

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