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とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」

 

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○モネ展

モネ展

申し分なく成功したアーティストが、人生の最後に到達する心境とは? 「モネ展」の≪睡蓮≫シリーズを眺めていて、ふとそんなことを考えた。美術史にまでつながっていく納得すべき作品づくり、家族や友人たちとの良好な関係、財政の過不足ない発展と、画家によって希望するところはまちまちだろう。だが、なるべく自身の絵のモティーフの傍にいたいという思いは共通するようだ。
モネの場合には、43歳にしてパリからほど近いジヴェルニーに居を定め、その地に自らが求める風景をそっくりそのまま出現させようと思い立った。幸い「モルタル塗りのバラ色の家」から下っていく道の周辺には、家庭菜園や果樹園が広がっている。そこを何回かに渡って買いとり、せっせと罌粟やワスレナグサを植えていく。最後にはとうとう水生植物用の「水の庭」をつくろうと、広大な敷地を手に入れた。

近くの川から水が引かれ、水面には無数の睡蓮が浮かべられ、池のなかほどに日本風の太鼓橋がかけられたことはいうまでもない。そのほとりに三つ目の、ガラス天井を備えたアトリエが建てられる。後にオランジュリー美術館の円形展示室を飾ることになる「大装飾画」の制作もはじまる。ことによるとクレマンソー首相の懇願を容れて、「大装飾画」をフランス国家に寄贈するため、≪睡蓮≫シリーズの制作とそのモティーフである池そのものの拡張作業が、追っかけっこで進められていたのかもしれない。
何がどうなろうと私はここで、四季折々に変化していく睡蓮の水面を最後まで描きとるのだ、という思いがひしひしと伝わってくるではないか。

私の庭は、愛情をかけながらゆっくりと作り上げられる一つの作品である。そして私はそのことを誇りに思っている。 1924年

当然のことながら、それを言葉以上にあらわしているのが彼の作品だろう。「ジヴェルニーの庭」(1922-26年、写真)をみると、明るい草木から受けたファースト・インスピレーションが、赤と黄色の絵具に託して思うさまぶちまけられている。たとえそのタッチがそのまま仕上げにつながるものではなかったにせよ、画家は本能の赴くまま遊び興じ、もはやブレーキなしで行くところまで行ってしまったとの感が強い。これこそ画家にあたえられる至福の季節(とき)というべきだろうか。(マルモッタン・モネ美術館所蔵『モネ展』、東京都美術館、〜H27年12月13日) 

★★★★★



○国宝曜変天目茶碗

古来〔茶碗〕はどのように眺められてきたのだろう。単に「茶を飲むための器」という回答では、もはや子供たちでさえ満足させられまい。茶の湯に特化した陶磁器の碗というところから、土と水と火からなる美的造形物あたりにまでは思いをめぐらせてほしい。さらに小さいながら宇宙の塵から生まれ、その宇宙を逆に内包してしまう存在といってもいいかもしれない。
半球型の定番フォルムは、何も造形上の要請だけでそうなっているのではあるまい。形なしでは仕方がないので、とりあえず仮に、最もシンプルな姿をとっているなぞと受け止めたい。だがそれにしてもである。曜変天目というこの世に三点しかない飛び抜けた変わり種茶碗をみると、どうやらこうしたやわな講釈は根底から吹っ飛んでしまいそうである。そもそもこの茶碗には通常の受け止め方、凡庸な鑑賞法を端から大きく飛び越えていくところがある。

国宝曜変天目茶碗

茶碗は普通外側から、胴や腰、口縁(山道)、高台などの全体を眺めていくものである。ところが曜変天目はまるで深い井戸でも覗きこむように、あるいは天体望遠鏡で何万光年か先(過去)を見通すように、見込みをじっと凝視するしかない。なぜなら油滴天目は外側ではなく、もっぱら碗の内側の斜面をゆっくりと下って行くように展開するからだ。
その結晶斑(丸柄)や色彩に手技は無縁だ。顔料の上絵付けではなく、どこまでも内部構造によって偶然浮かび上がった模様だからである(専門的には、これらの像は屈折率の異なる素材を周期的に並べたフォトニック結晶体への反射光によってもたらされている)。青を中心にプリズム光のように虹化する現象は、コンパクトディスクやDVD、ハッブル宇宙望遠鏡などがもたらした星々の生成画像などで、現代人にはすっかりお馴染みの色彩効果だ。だが人類の長い歴史上、これまでは貝殻以外ほとんどみられなかったもので、これを今から四百年もまえに覗きこめたのは、徳川家康と水戸藩主徳川頼房だけだったというのも頷けよう。したがってこれはチャワンだけではなく、茶碗型をしたフォトニック半導体パノラマ、超小型プラネタリウムとでも呼ぶべきものかもしれない。
それでは曜変天目茶碗はまったく偶然の産物かというと、実はそうとも言い切れない。なぜならこの茶碗は、その繊細華麗な色の輝きを最大限生かすため、そろってやや小ぶりな黒地釉の碗に仕上げられているからである。神秘的な効果を狙い、福建省建陽辺りである程度工業的に量産されたという名残が、いまだどこかに漂っている気がしないでもない。それではなぜ今日、完品は世界中にたった三個だけなのだろう。
こうして物質の根源にも関わるぎりぎりのデリケートさをみせるこの茶碗は、正直掌にのせて一服の茶を嗜むには、もっとも似つかわしくない道具のひとつといっていいだろう。(「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」展、サントリー美術館、〜H27年9月27日)

★★★★★


○蔡國強展:帰去来

蔡國強展:帰去来

1986年12月、蔡國強は唐突に日本へやってきた。火薬を使って現代アートを制作する「30を少しばかり超えた、ちょっと風変わりな青年」というふれこみだった。いわゆるインスタレーションアートのこれからに興味津々だった美術界は、こぞって彼を歓迎した。そのあまりに読み易い野心が「アジアだってここまでやるのだ。アジアだからここまでやらなきゃあダメだ」的な思いに火をつけたとは、いえなくもないだろう。
思いは単純でいい。そのかわり、やりたいことだけはトコトンやる。衆人環視のなかで作品は何度か黒焦げになり、とうとう燃え尽きてしまったものもあった。

だが彼はめげない。そして五体満足だ。博打じゃないが、やり過ぎはいけない。不用意にやり過ぎれば命がない。火薬を素手でこねまわすなど、はじめから誰にも真似のできない行為だった。つまり彼はその時点ですでに爆発(火薬)のプロであったし、世界中にたった一人のライバルも存在しない唯我独尊の人だったのだ。
この中国人はなぜ危険を顧みず、ここまでやるのか。現代アートを「取り澄ました輩の暇つぶし」程度に考えていた人たちは、さかんに訝しがった。そんなノホホンとした日本だったからこそ、彼は切羽詰まったアートを携えてやってきたのだろう。
とにかく「宇宙からながめたアジア文化」を説いた。古代から現代まで中国文明に登場してきた人物、思想、風水、遺構。そうしたものすべてがテーマだ。それ以外に表明すべきものなど何もないといわんばかりの態度だった。いまから思うと、苛烈なまでのアート的中華主義。漢字と箸と風水でつながった東北アジアじゃないか。そのうちあなたにもきっと分かるさと、人懐っこい眼が笑いかけてくる。それに対して一言もない私。素直に頷きながら、即座に共鳴できた人がいく人いたろうか。
それにしても美術アートからみて英雄とは何か。ヒーローになるとは一体どういうことなのか。それを始めからしまいまで、全部みせてくれた作家はそうはいない。だからわれわれにとって中国文明の申し子・蔡國強は、ずっとかけがえのないパートナーだったのだ。さらなる交流を望む人々を残して1995年、彼はニューヨークへと旅立つ。以来20年。代表作『壁撞き』(2006年、写真部分)のまえで、「人間と人間のあいだには、目にはみえないが決して越えられない壁がある」と淡々と語る蔡國強。おやっ、と思った。アートの中華主義は、アメリカの地でいかなる変貌を遂げたというのだろう。
その『壁撞き』を引っ提げ、彼は今回ふるさと横浜へと凱旋する。陶淵明の「歸去來兮/かへりなんいざ」に、いまの静まり返った57の心境を託して。そうだ、蔡國強はやっぱりわれわれの英雄だったのだ。(横浜美術館、〜H27年10月18日)

★★★★★


○ヘレン・シャルフベックの肖像画

何だかんだいっても、結局のところ自分自身にしか関心がないのは人の常だ。まして画家は、己れと自作にしか興味をもたないナルシシズムの塊のような存在。フィンランドの画家ヘレン・シャルフベック(1862-1946)はいう。

芸術家は自分の中に入り込むことしかできない。私はそう思う。そう、固くて氷のような、ただの私の中に入っていくこと。…どうして私は作品をダメにしてしまうほどこんなに激しく、全てのことに反応してしまうのかしら。(1921)

シャルフベックが一生涯に残した肖像画をたどれば、彼女がいかに繊細で傷つきやすく、またそれを覆い隠すためどれほど用心深く絵を飾り立ててきたかが分かる。

ヘレン・シャルフベックの肖像画

それにもかかわらずだ。彼女は独得の寡黙な筆法によって、つき合う相手との関係を洗いざらい告白する。返す刀で、つまり自画像によって今度は自分自身のすべてを画面上にさらけ出してみせる。そうせざるを得ないたちのようだ。
そして自画像の最高傑作「黒い背景の自画像」(写真、1915) に至って、ついに気取りはあらかた影を潜め、さりげなくクールな描線で残酷なまでに自身の顔(かんばせ)がなぞられる。もはや整った目鼻立ちなどどうでもいい。ただ目のまわりの藤色、頬の赤、唇の紅、そして胸元の大きなブローチだけが相変わらず美への執着を漂わせ、ひと筆描きにされた顎の線が意志の強さを、無造作に飛び出した髪の毛が他人への無関心を暗示していよう。こうしてみると女の視線の怖さは、100年前から今日までさして変わってはいないようだ。(『ヘレン・シャルフベック−魂のまなざし』展、東京藝術大学大学美術館、〜H27年7月26日)

★★★★★


○「ユトリロとヴァラドン ― 母と子の物語」

ユトリロとヴァラドン ― 母と子の物語

シュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)とモーリス・ユトリロ(1883-1955)。この天才母子の物語ほど切ないものはない。ともにベル・エポックとエコール・ド・パリと呼ばれる、フランス美術がもっとも高揚した時代に絵描き人生を送りながら、なぜか心穏やかな生活からはいつも見放されていく。
母は息子の親友アンドレ・ユッテルと駆け落ちし、息子はそんな母親の気持ちをいま一度取り戻そうとアルコール中毒にはまる。ついには精神に異常をきたす。母子とも絶大な人気を誇る売っ子作家となりながら、偽善に満ちた結婚を繰り返し、結局は才能と欲望が交差するモンマルトルの闇に呑みこまれていくほかはない定めだったのだろうか。

ここに一枚の肖像画がある(写真)。母が、絵筆を執るわが子を描いた油絵だ。太く逞しい線で、スーツにネクタイ姿のユトリロが生き生きと写しとられている。お得意のブラウン(黄茶)に沈む色調のなか、ワイシャツの白さと明かりに照らしだされた頭部がまぶしい。堂々たる威厳に満ちた、ヴァラドンの好みを彷彿とさせる偉丈夫に違いない。だが描き手をみつめるモデルの眼だけは別物。ユトリロその人の決して母を許そうとしない冷たい刃が、いつまでも不気味な光を湛えて潜んでいる。(損保ジャパン日本興亜美術館、〜H27年6月28日)

★★★★★


○「グエルチーノ よみがえるバロックの画家」展

グエルチーノ(1591-1666)という画家も、彼を育んだボローニャ郊外のチェントという街も、日本ではさほど広く知られた存在ではない。そこはそれ、いつの時代もキラ星のごとき大家巨匠がひしめき合っていた地中海世界のこと、致し方のない成り行きだろう。

「グエルチーノ よみがえるバロックの画家」展

だがバロックという人目を驚かせ、楽しませることに並々ならぬ情熱を燃やした動向の立役者であってみれば、彼のたぐいまれな発想力が最後まで世に埋もれ、日の目をみずに終わるというのはどうにも了承し難い結末ではある。
実際「聖母のもとに現れる復活したキリスト」や「トゥリニタ」といった作例をみるがいい。どうしてどうして誰かの亜流どころではない。前者は十字架から復活したキリストが、昇天するまえにちょっと聖母マリアのもとに立ち寄り、別れを惜しむ場面を描いている。「じゃあ、先に行くからね」と声をかけたかどうかは知らないが、若いマリアは尊い救世主というより恋人をみるような「えも言えぬ心情を籠めて彼を見上げ」ている(ゲーテ評)。処女懐胎ゆえの、二人にしか分からない親密な情念の交流だろうか。
「トゥリニタ:聖三位一体」(写真、1616-17年頃)は父なる神、子なる神、聖霊なる神が、雲上に一列に並んで座っているシーンだ。それぞれヒゲを蓄えた老人、筋骨隆々たる青年、そして翼を広げる白鳩であらわされている。このとき子が父の右側にいたことがクレドなる「使徒信条」に記されている。バロック特有の天空に対する憧れはさすがに薄れ、父子の対話が弾んでいる。子は肌けた胸に手を当てて、さかんに何事か訴える。父はカッと両目を見開き、その話に聴き入っている。全宇宙の運命が変わってしまうかもしれない、重要な意志決定の瞬間であろう。(それにしては、父子ともに天使のおでこをギュと踏みしめているのが少々気にかかるが…。)
ここにはレオナルドもラファエロも、カラヴァッジォでさえもイメージし得なかった天上の情愛の有り様が、色鮮やかに提示されているといっていいだろう。(国立西洋美術館、〜平成27年5月31日)

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