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とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」

 

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○「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展

「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」展

漆に卵の殻の象嵌かと思ったら然にあらず。ローズウッド・黒檀の木地に象牙の図柄だそうです。それにしてもこの「幻想絶佳」という聴き慣れないタイトルの展覧会をみて、出てくるのは溜息ばかり。東西の王侯貴族、大富豪たちの目を見張るような日常が手にとるように分かるからです。1910年ごろの衣・食・住すべての華麗さが光ります。なかでも家財道具への凝り方は尋常ではありません。
たとえばエミール-ジャック・リュルマン制作のこのキャビネット。ピアノの鍵盤のようなデコレーションの下に破線模様があるかと思えば、それに囲まれた花瓶デザインの艶(あで)やかなこと。モダンとエレガンスの合体したアール・デコのなかでも傑出したユニークさで、もはや比べるものとてない有様です。

工業製品などおよびもつかないフランス文化の洗練とは、こうした調度品のことをいうのでしょうか。置物彫刻でも、美女の頭上からしなだれ落ちてくる花房がやがて彼女の身体を徐々に包みこんでいくという、考えられないアイデアをヴィジュアル化した逸品などがあります。
一部屋ずつめぐっていくと、アール・デコに秘められた意外な古典主義的傾向など、もうどうでもよくなってしまいますよ。ホント。(東京都庭園美術館、〜平成27年4月7日)

★★★★★


○「ホイッスラー展」

ジェームズ・マクニール・ホイッスラーがパリを離れ、ロンドンに移り住むようになった1859年という年代には、かなりの意味があるだろう。1862年にロンドンで開催された万国博覧会をみた可能性が出てくるからだ。そこには初代駐日公使ラザフォード・オールコックの、それは見事な日本美術コレクションが展示されていた。ホイッスラーはその翌年から、大胆なトリミング手法や装飾性にあふれた「オリエンタル・ペインティング」をはじめているのだ。
しかも彼のジャポニスム(日本趣味)は、ほかの人とはまったく趣を異にしていた。扇子やキモノといった小道具を加えて異国趣味を盛り上げるのではなく、逆に画面からほとんどすべての道具立て、すなわち物語性を剥ぎとっている。

「ホイッスラー展」

詩人チャールズ・スウィンバーンが「この絵が意味するのは美そのものであり、存在するということだけがこの絵の存在理由である」と述べた、唯美主義のはじまりだ。
画面は「ノクターン:青と金色−オールド・バターシー・ブリッジ」(写真、1872-75年)にみられるように、ほとんど墨絵に近いモノトーンである。つまりホイッスラーは当時の画家としてはほとんど唯独り、日本から派手な琳派の色彩ではなく、より瞑想的な水墨画の渋みを選びとったのだ。その極限まで研ぎ澄まされた感覚は、ある意味音楽的でさえあるといえよう。画家自身もそう考えたらしく、作品に「シンフォニー」、「ハーモニー」、「ノクターン」といった音楽用語を含むタイトルを付している。まさに「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」という、批評家ウォルター・ペイターの指摘通りだった。(横浜美術館、〜H27年3月1日)

★★★★★


○「ウフィッツィ美術館展」

ウフィッツィ美術館展

グランディ・オッフィチーネ(大工房)が覇を競った時代、すなわち15世紀後半のフィレンツェをながめると、サンドロ・ボッティチェリという一人の画家が目に飛びこんでくる。今回の「ウフィッツィ美術館展」(東京都美術館〜H26/12/14)でも初期の聖母子像から最盛期の「パラスとケンタウロス」、そして晩年の瞑想的な作品まで、工房のものを含めて9点の傑作が展示されている。
なかでも「パラスとケンタウロス」は頭部や胸、腕にオリーブの枝を這わせた女神(パラス)がいかにもギリシャ神話からやってきたと思わせる点で、まるで彼の「プリマヴェーラ(春)」に登場するフローラや「ヴィーナスの誕生」の主人公と瓜ふたつだろう。これこそが、花や指輪をふんだんに薄衣に纏わせて生身の女を無垢の天女へと変身させる、ボッティチェリの真骨頂ではなかろうか。

女神は、柵のなかのサンクチュアリー(聖域)を監視する役目を象徴している斧槍や背中の盾をちらつかせながら、いきなり粗野な闖入者ケンタウロスの頭髪をつかむ。不意をつかれた半人半獣は、意外にも戸惑いを隠せない。武器を手に、いましも欲情にかられた悪だくみを実行に移さんとしたところを、気高い女神に見透かされ、やんわりといなされてしまったからだ。
ケンタウロスの筋骨隆々たる剥き出しの肉体と、オリーブの花に擬せられたパラスの乳首。このような異教徒的エロティシズムを鷹揚に受け入れるところにもまた、豪奢にして清濁あわせ呑む黄金期ルネサンスの奥深い魅力が伺われるだろう。(東京都美術館、〜H26年12月14日)

★★★★★


○「ヨコハマトリエンナーレ 2014」

猛暑のなか「ヨコハマトリエンナーレ 2014:華氏451の芸術」がはじまった。相変わらず難しそうなタイトルだ。聞けばブラッドベリのSF小説「華氏451度」から採られたものだという。大切な書物が燃やしつくされ、TV画像ばかりがもて囃される世界で、なお存在し得る芸術とは何か?
そんな謎かけに触発されたわけではないが、記憶に残ったのは横浜美術館の「Kama Gei 釜ヶ崎芸術大学」と新港ピアの「移動舞台車」。もはや埒外のアートなど、どこを探しても存在しないかにみえた状況のなかから、鮮やかに掬いとられた巻頭グラビヤ2ページといった塩梅だ。とくに「移動舞台車/ステージトレーラー・プロジェクト」には、発想といい迫力といい、頭抜けたところがある。

「ヨコハマトリエンナー2014」

出展者のやなぎみわよると、そもそもの発端は中上健次の小説「日輪の翼」。そこに出てくる7人の老女たちが、彼女の心をワシづかみにしたらしい。老女たちは大型の冷凍トレーラーにのりこみ、茶粥をすすり、御詠歌を唱えながら、住み慣れた故郷熊野の路地をはなれ、全国各地の聖地巡りの旅に出る。行く先々で神々に狂喜する老女と、夜毎女漁りに狂奔する運転手たち。その滑稽と逸脱に浸るうち、やなぎは台湾で出会ったステージトレーラーをヨコトリに招聘することを思いついたらしい。
オープニング当日、そのけばけばしい電飾の舞台で披露されたのは、アメリカ産台湾育ちの大層エロティックなポールダンスであった。(横浜美術館+新港ピア、〜H26年11月3日)

★★★★★


○『あしたのジョー』の夢と挫折

『あしたのジョー』の夢と挫折
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漫画家・ちばてつやは昭和43(1968)年、高森朝雄(別名・梶原一騎)の卓抜なストーリーを得て、「週刊少年マガジン」誌上にあるボクシング漫画を描きはじめる。後に多くの人々から「わが青春のアイドル」と慕われる名作『あしたのジョー』(〜1973)だ。
ちばてつや自身、自宅にこもりながら「(GNP世界第2位の)高度成長という熱にうかされてある意味、高揚した不思議な雰囲気をひしひしと感じて」執筆していたという。物語は、明るく自由に生きようとする若者・矢吹丈が、ふとしたことから身寄りのないボクサーくずれのトレーナー丹下段平に拾われるところからはじまる。天に昇るか地獄に堕ちるか。 まさに瀬戸際の日本を象徴するような二人だった。

ジョーは段平の一喝にとっさに身構える(写真上)。全てがあきれるほどに荒々しかった。好戦的だった。どんな強い相手にも屈せず、すぐさま必殺パンチ・クロスカウンターをお見舞いする気概に満ちていた。たとえ現実の生活は貧しく、みじめであったとしても、あるいは汚染や薄汚い不正の垢にまみれていたとしても、もしこの相手に打ち勝ちさえすれば、あしたは自分のものになるんだと信じた時代であった。そんな単純な思い込みを、つねに突き放そうとする覚めた自分もいないではなかったが。(写真下)。
『あしたのジョー』の夢と挫折をイヤというほど味わってきた日本だからこそ、いま調子づく近隣諸国の挑発や脅しに乗せられず、フットワーク軽くやすやすとやり過ごす余裕さえみせることが出来るのではないか。寺山修司が「あしたを破産させられたジョー」や力石徹に、心からの惜しみない拍手を送ったように。(「あしたのジョー、の時代」展、練馬区立美術館、〜H26年9月21日)

★★★★★


○華麗なるジャポニスム

1876年(明治9年)、日本では禄を失った士族が全国各地に40万人以上もあふれ返っていた。だが欧化政策にひた走る時の政府は、彼らに冷淡だ。刀は取り上げるは、給料は払わないはで不平不満は募り、ついに熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などが相次いで勃発している。世は騒然たる雰囲気で、とてもわが国古来の美術趣味に浸るどころではなかった。
一方ヨーロッパではこのころ、先を争うように日本美を愛でる風潮が頂点に達する。焼物、漆器はいうにおよばず、セレブは「キモノ」や没収された刀の鍔など、特殊なクラフツにまで蒐集の手を伸ばしている。全体に豪華な刺繍や絞りを施し、摺箔や縫箔などの技法を凝らして絵画に負けない迫力を出した打掛などは、さしずめ万国博覧会のフィーチャー作品だったろう。

華麗なるジャポニスム

今回の「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム」展をみると、こうしたブームが通り一遍の異国趣味などと片づけられるレベルのものではなかったことが、よく了解される。パリでさえ時代を象徴する印象派の画家、モデル、デザイナーたちが目の色を変えて取り組んだ、欧州挙げての美の変革であった。
彼らは浮世絵師、彫師、摺師たちの丹念な手仕事を頼りに、しだいに派手さと渋さをみせる極東美の蘊奥に近づいていく。そしてあるとき、派手さのなかには庶民たちのサブ・カルチャー的エネルギーが横溢し、渋さには支配階級の権力への志向がそれとは気づかぬほどの慎ましやかさで込められていることに、気づいたのではあるまいか。
だとすればジャポニスムとは一面、近年の「スーパーフラットプロジェクト」以前にあらわれた、日本式サブ・カルチャーの批評的再評価だったような気もしてくる。(皮肉にも、あろうことか当の日本人たちがもっとも不得手とする美の格上げ作業ないし、美学の逆輸入であった。)
なかでも美術のグローバルな戦略に長けていたクロード・モネが、あえて黒褐色の髪を隠させ、ブロンドの鬘さえ着用させて演じてみせた一枚の絵画「ラ・ジャポネーズ」(1876)に、そうした意図が際立っていると思うのはとんだ見当違いというものだろうか。(世田谷美術館、〜H26年9月15日)

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