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とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」

 

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○「生誕300年記念 若冲」展

「生誕300年記念 若冲」展

江戸中期の京都にあって、「わび」だ「さび」だと打ち沈んだ暗い画面にばかり向かおうとする心情に、キッパリと別れ告げた男がいた。老舗の青物問屋「桝源」の四代目当主伊藤源左衛門、別名若冲である。
生業をはじめ、広大な所有地から上がってくる潤沢な地代や家賃を使って、持てる名声、権力の限りをつくし、絵絹のうえに己が思いを実現させようとトコトン努力している。八代将軍・徳川吉宗の享保の改革に揺れる江戸を尻目に、上方ではちょいと一味ちがうプラグマティズムが盛り上がっていたといっていいだろう。
四十にして家督を次弟に譲ったのも、隠居などという後ろ向きの発想ではない。もう一段高いところから問屋業の規模拡大を目指し、もって京の人々に前人未踏の青物アート≪動植綵絵≫をみせつけようとしたためではなかろうか。彼のモザイク画「鳥獣花木図屏風」を眺めながら、ふとそんな思いにかられた。

「鳥獣花木図屏風」(六曲一双)では、雲を除き「暈し」や「滲み」、「たらしこみ」などの技法はほとんどみられない。すべては小さな正方形の色面パターンに還元されているのだ。従って色彩のグラデーションは、色やデザインを異にする正方形の並置と、ランダムな散らしによって表現されている。例えば動植物の立体感はさまざまな色面の並列であらわされ、背と腹の境界はランダムな散らし、とくにギザギザな曲線によって示されることが多いようだ。
茶色いところなど、実に6種類以上の正方形によって巧みに描き分けられている。決して自由とはいえないこの画法へのあくなき執着は、一体どこに由来するのだろう。木や陶板のタイルを使った、本格的な壁画制作を目論んでいたと勘ぐりたくもなる所以だ。白い象の背にのる布地の柄など、すでに明瞭にタイル化している部分もみられることではあるし…。
こうして若冲が、わが国初のパブリック・アーティストになったとしても、微塵も訝しがる必要はあるまい。何しろ円山応挙を向こうにまわして一歩も退かない、京の都の「街起こし」の立役者だったのだから。(東京都美術館、〜平成28年5月24日)

★★★★★



○MIYAKE ISSEY展

三宅一生の衣服は、ボディをカンヴァスにして描かれたアートなのか。それが最初からの素朴な疑問であった。彼はいう。「基礎となる問いがある――三次元である身体を二次元の布でいかにして包むか。衣服は着ることではじめてかたちをなす」。3Dプリンターさえある現代では、ちょっと物足りない気もしないではないが、まずは真っ当なご指摘だろう。「そのとき布と身体との空間もまた活かされる。一枚の布で造形された服にはこのことが如実に表れている」。
ふーむ、なるほど。衣服とボディはもう少しインタラクティヴな関係なのかもしれない。三宅はいう。「主役は身体である。身体は衣服に動きと生命をあたえる。だがしかし、『ボディ』は芸術作品を意図してはいない」。
こんな経験が思い返される。模様のついた一枚の布がそこに置いてある。ただの布切れ以上の感慨はない。ところがその布を人が纏った瞬間「何と上品な」、「何と優雅な」という感想が頭をよぎった。

MIYAKE ISSEY展

衣服がボディを被って、ボディごと自立したアートを志向するのだろうか。服を纏う人は、衣服をただの布切れ(基底材)にすることも、上品で優雅なあるものにすることも出来るのではあるまいか。
まさにそこに、三宅一生の眼差しが「デザインとなって融合」するのである。(国立新美術館、〜H28年6月13日)

★★★★★


○原田直次郎展 西洋画は益々奨励すべし

原田直次郎展 西洋画は益々奨励すべし

青い裃をつけ短刀や扇子を腰に差し、やや居住まいを正した姿の「横井小楠像」(1890年M24)がある。厳めしい顔つきで相手を威嚇してくる怖い「武将図」ではないが、幕末期の侍というものがどんな風貌で、辺りにどんな雰囲気を漂わせていたかを知るには、はなはだ好都合の肖像といっていいだろう。
作者・原田直次郎は、こうした武士さえ忠実に描きとれる画家。すなわち自身、小石川柳町に生まれ育った紛れもない江戸の侍なのだ。その彼が1884年(M17)にミュンヘンへ渡るやいなや、実に驚くべき変貌をみせる。繊細なペン先から流れ出すヒゲのようなドイツ文字を操りながら、美術アカデミーのガブリエル・フォン・マックスやユリウス・エクステルといったややクラシカルな画家たちのもとで、老若男女の肉体をまるで生きているかのように写しとる油彩の秘技をわがものとしたのだ。

成果は見事だった。強い陰影の対比で靴屋の親爺の頑固一徹を醸しだしたかと思うと、今度は頭頂のコブを囲む髪の毛で、写実の奥深い凄みを示してみせる。市井の人々の心理や感情の表裏にまで通暁する炎の眼差しも、如何なく発揮されていよう。こうして「靴屋の親爺」(1886年M19)にしても「ドイツの少女」(1886年M19)にしても、古典主義の空気を存分に取り入れることで、作者名さえ隠してしまえば到底日本人の作とは察知し得ないほどのヨーロッパ臭を獲得することが出来たのである。
往時の侍らしく、何ごとにも命懸けにならずにはおれない性分のゆえだろうか。それとも完璧に己れを捨ててかかる当時の欧化主義というものの健気さだろうか。いずれにしても平成28年の御代からは容易に想像し難い何かが、そこには渺々と広がっているような気配なのだった。(埼玉県立近代美術館、〜H28年3月27日)

★★★★★


○恩地孝四郎展

わが国における抽象芸術の先駆者として、名声をほしいままにしている恩地孝四郎だが、その実作品を味わうのはなかなか容易でない。造形はどことなくヌラリクラリして掴まえどころがないし、制作も終始創作木版にのみ集中力していたわけではない。ひょっとすると竹久夢二、北原白秋、室生犀星あたりから、ドイツ表現主義といった西欧の最新動向を叩きこまれながら、同時にモダニズムを骨抜きにしてしまう神業も伝授されていたのかもしれない。
それより気の向くまま、あちらこちらを道草して歩くのが楽しくて仕方なかったのだろう。そしてあらゆるものを驚くべき混淆の中間色トーンで、トコトン柔らかく、ストイックなまでに屈託なく描きあらわしている。その発想がまた悩ましいまでに難解といっていいだろう。

村上隆の五百羅漢図展

ちなみに抒情シリーズに負けず劣らず評価の高い、「人体考察」シリーズを見てみよう。取り上げられたのは髪、顔、頸、肩、胸、背、腹、脚などだ。誰にとっても、いやが上にもイメージが膨らむモティーフだ。だが円や直線、色面などを駆使して構成された彼の画面から、身体の各部位を連想するのはほぼ不可能に近い。(写真左上:頸、右上:顔、左下:衣、右下:胸)
つまりこの時期の恩地にとって造形とは、微塵も描写対象のアナログ的再現などではない。無論アーティスト自身の身体のフィーリングや、語感、詩的インスピレーションなどとは、きっとどこかでつながっているに違いないのだが…。日本初の抽象表現なるものが、すでにしてここまで視覚を突き放したものであったことは、今更ながらの驚きといわねばなるまい。(東京国立近代美術館、〜H28年2月28日)

★★★★★


○フリオ・ゴンサレス展

フリオ・ゴンサレス展

もしも空間に自在に点を打つことが出来たら、どんなに楽しいことだろう。そして二つの点の間には決まって線が引かれる。定規を使って思い切りシャープに引かれた線は、無論美しいに違いない。だが実際のところ、空間をおずおずと切り裂いて進む真新しい線の素朴な風合いも、捨て去るには忍びないに違いない。
金属で空間と遊び戯れていると、ちょっとした「撥ね」や「たわみ」があちこちに生ずることは珍しくないだろう。そう、紙の上を動きまわる筆の跡たる書の、立体版に近いといっていいかもしれない。これをスペインの金工職人にして後の彫刻家フリオ・ゴンサレス(1876-1942)は、3Dプリンターではなく「空間のドローイング」と呼んだ。本作(写真)などはその典型と目される。
「立つ人」(1935年頃)と題された作品だからといって、無理やり人体になぞらえる必要はあるまい。

大切なことは空間のドローイングが、ただ空間に配された物質の姿形ばかりではないということだ。素材はむしろタブラ・ラーサの空間や撓められた勢いの方で、ブロンズの線分はただその分節・境界を暗示するに留まっているようにもみえる。
夜空に穿たれた無数の星の点。天の一点を指し示すカテドラルの尖塔。フリオ・ゴンサレスならずとも「空間に描く」という自在な芸術衝動は、バルセロナの街の至るところに潜んでいたのだった。(世田谷美術館、〜H28年1月31日) 

★★★★★


○村上隆の五百羅漢図展

この秋最大の呼び物、「村上隆の五百羅漢図展」が森美術館で賑々しくスタートした。思えば2012年カタール国の首都ドーハで、絵画史上最大級という呼び声も高い全長100メートルにもおよぶ「五百羅漢図」(写真)が発表されたとき、世界の美術関係者は驚きの目を見張り、感嘆の声に湧き返ったものだった。
前年の東日本大震災と福島の原発事故で、もはや日本は再起できないのではないかとさえ危惧されていたからだ。そのときいち早く救援の手を差し伸べてくれたカタール国へ、何かお礼は出来ないだろうか。画家のそうした一途な思いは「鳥獣人物戯画」、「北斎漫画」以来の伝統を誇る線描画法の、ひと癖もふた癖もある羅漢様の大集合へと集約されたのだった。
発表当日は各種の情報が飛び交い、その余波はとうとう東京・三鷹のわが事務所にまでおよび、PCをパンクさせ使用不能にまでしてしまった。そうしたわけで今回の国内展は、まさに全美術ファンこぞっての待望のイベントとなった。
黄金の達磨タワーあり、超巨大絵画あり、はたまた辻惟雄先生の応援スピーチありの桃源郷のような会場は、初日前夜(内覧会)のお披露目でさえ二千人を超える人の波で埋めつくされた。

村上隆の五百羅漢図展

村上隆の五百羅漢図展

それをそのまま日本美術の、否日本文化復活の狼煙と受け取ったのは、決して私だけではなかったのではあるまいか。衰退が叫ばれて久しい日本だが、まだまだわれらの行く手は明るいぞ。(〜H28年3月6日)

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