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都政新報 2009年12月4日掲載

新 アートの時代へO

●「国宝 阿修羅展」(2009年3〜6月)
 か細い美少年、阿修羅


 若い女性と話をしていると、「ケーキもいいけど最後は和菓子よね」などという。意外に和風好みだ。そうした延長にあるのか、いま古(いにしえ)の御仏が、彼女たちの間でちょっとした人気だという。美術の世界では、印象派のひとり勝ち時代があまりに長かったので、どこかほっとさせられるところがないでもない。
 仏像のなかでも天平時代のものはとくに写実的だ。千数百年のときを隔てて、生身の人間がいまそこにすっくと立ち現れたのではないかと錯覚させるものさえある。興福寺の阿修羅像などは、さしずめそのトップに挙げられるだろう。戦いを司る仏でありながら、烈しい忿怒や威嚇の表情を示さず、むしろか細い美少年の姿をかりて、人々の繊細で微妙な心のひだに直接語りかけてくる。
 東京国立博物館は今年の春「唐招提寺展」、「仏像展」、「国宝 薬師寺展」の後を受け、再び仏教美術の一大イベント「国宝 阿修羅展」に打って出た。結果は日本美術の展覧会としては同博物館はじまって以来のレコード、94万6172人だという。同じ東京でも六本木地区の台頭、あるいは丸の内・銀座界隈の復権がいわれるなか、明治以来の伝統をもつ上野の危機感は強い。
 何といってもミロの「ヴィーナス展」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ展」、「バーンズ・コレクション展」と、ときどきの関心を一身に集めてきた文化ゾーンの総本山である。「国宝 阿修羅展」成功の秘密は、タイトルを創建1300年記念「興福寺展」としなかった辺りにあるのだろう。主催者(興福寺)は寺の体面をかなぐり捨てて、この初々しい御仏の魅力にすべてを賭けたのだ。
 阿修羅像は天平6年(734)、光明皇后が母・橘三千代の一周忌供養の菩提を弔うために造像した八部衆のうちの一体である。皇后はこのとき興福寺に西金堂を建立し、釈迦如来、釈迦の十大弟子、四天王、八部衆など28体の像と、菩提樹や金鼓(こんく)などの荘厳具を寄進した。つまり釈迦の浄土をこの世で立体的に表そうとしたのである。
 三つの顔と六本の腕をもって、戦いの砂塵のなかに飛びこんでいくスーパーマンでありながら、阿修羅に猛々しいところは少しも見当たらない。むしろひっそりと佇む若者の華奢な体躯によって、一種のすがすがしさと純粋さを示している。正面を向く顔は眉をひそめて憂いを含み、心が烈しく揺れていることを暗示している。それとともに前方の一点を凝視している。動揺しながらも、一心不乱に何かを念じている姿だろう。
 阿修羅は闘争いの仏でありながら、辺り(足下)に敵らしきものは見当たらない。それはこの像が、唐からもたらされた「金光明最勝王経」をもとにつくられているからだといわれる。眼前の敵を滅ぼすよりも内なる仇、すなわちこれまでの罪を懺悔して消滅させ、釈迦に帰依することが強く求められているのだ。
 主催者の一員・朝日新聞社は、閉幕を告げる記事のなかで「同展は、幅広い年齢層に『阿修羅ブーム』ともいうべき社会現象を巻き起こした」と自画自賛する。なるほど若い女性の阿修羅をながめる視線には、どことなくアイドル・スターに向ける熱いまなざしに似かよったものが感じられる。
 雑誌の「仏像」特集なども毎回成績がいいという。このところ市民の鑑賞眼は、驚くべきスピードで変化している。それを正確に捉え、タイムリーな企画に結びつけていくためには、アートだけでなく同時に社会をもみつめる冷徹な眼を備えた学芸員が欠かせない。彼らを支えていくのは、いうまでもなくインタラクティブな通信技術を軸にした、情報収集のシステム的バックアップだ。
 美術館現場、ひいてはそれを指導監督する自治体の文化行政にとって、片時も目の離せない試練の日々はまだまだ当分つづきそうである。

 

 


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