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都政新報 2009年11月24日掲載

新 アートの時代へK

●「森山大道展」(都写真美術館=2008年5〜6月
アレ、ブレ、ボケの行方


 路上に一匹の犬がいる。雨に打たれて耳と尻尾を垂れ、うろうろと辺りをうろつきまわっている。とても飼い犬にはみえない。犬が不意に後ろを振り返った瞬間、カメラのシャッターがガシャと切られた。下目づかいの虚ろな眼。その不気味なほど凄みのある一瞥が、黒々とフィルムに焼きつけられる。粒子は「荒れて」大きく、犬が立ち止まるのを待たずに撮られた像は所々「ぶれ」ている。ピントを合わせる間さえない「暈け」た残像。アレ、ブレ、ボケを流行語にした写真家・森山大道独特のモノクロ世界だ。
 彼は小型カメラをぶら下げ、野良犬顔負けに街を徘徊するタイプのフォトグラファーである。何気ない路地の一隅が彼のカメラに収まり、中間調をすっ飛ばした強烈なコントラストの画像として立ち現れてくると、それはもう決定的瞬間と呼ぶしかない写真だけの表現である。自身は「森山大道展」(第T部:レトロスペクティブ1965-2005、第U部:ハワイ)に際し、こう述べている。

 僕は昭和13年生まれですから、小学生の頃というのは戦後真っ只中の世代なんですね。もう嫌っていうほどハワイを舞台にした映画や歌謡曲があって、メディアを通じてハワイが記憶されていたんです。…スクリーンやブラウン管を通じて観るハワイのイメージはどんどん膨らむんだけど、でも、僕のなかのハワイは圧倒的にモノクロでした。…僕の中のハワイに対する勝手なイメージは熱海に代表されるような、一種のぬるさなんです。温泉地の如何わしさとか、そういう雰囲気がハワイでも撮れるかなと期待して行ったんですけど、ちょっと裏切られました。もうちょっと歓楽街的なところがあるかと思っていたんですが、店も早く終わってしまうし人もいなかった(苦笑)。比較的、熱海感じがあるのは、夕暮れの坂道、ヘッドライトをぼんやり点した車が上がってくる写真でしょう。…それから、ハワイにはやっぱり島独特の暗がりっていうのもある。移民の島、ヒロに着いたときは、いつか目にしたことがある既視感というより、大昔、ここに居たぞという、全くいいしれぬ懐かしい感覚に包まれました。まるで体の細胞の網目からにじみ出てくるような奇妙な懐かしさに。(HP写美/TOPICS)

 自らの生きた時代とオーバーラップせざるを得ない写真という手法。森山の場合、それは必然的に戦後の「如何わしい」エネルギーであり、学生運動に象徴される「ぬるい」挫折であり、路上の人々への「いいしれぬ懐かしさ」だろう。
東京都は、こうした写真の魅力にいち早く気づき、文化政策に反映させた自治体である。1995年、全国に先駆け恵比寿に東京都写真美術館を開設している。写真作品を収蔵・保管し、写真展や映像ワークショップを恒常的に行う。それらを通じて写真家を育成し、写真ファンの裾野を広げていこうとの狙いだ。この美術館がユニークなのは、それまで絵画や彫刻にくらべてやや商業的要素の強いジャンルだと思われてきた写真・映像を、純粋アートの立場から学究的に紹介していこうとしている点だ。
時代の先を読んだ東京都の英断であったが、開館から数年間、観客動員数は横ばいがつづいた。開館当初20億円あった予算は容赦なく7億円台にまで削られ、館運営はしだいに苦しくなっていく。ところが7年目を迎えた平成13年ごろから、形勢は急激に改善されていった。オタク文化の大躍進とともに、写真人気にも火が点いたのだ。
森山大道の情熱は無論のこと、日常の些事に揺れる心のデリケートな部分さえうまく掬いとってくれる「写真」という有り様に、再び注目があつまるようになる。いまや年間入場者は安定的に40万人を超え、東京でももっともメジャーで、お洒落な美術館の一つとなった。

 

 


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