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都政新報 2009年10月20日掲載

新 アートの時代へ B

●「大地の芸術祭」(2000年7〜9月)
アートで過疎村の町おこし


 景気はそんなに悪くないのに、デパート系の美術館は次々と閉鎖されていく。老舗ギャラリーも長い歴史に幕をおろし、暖簾をたたむ。そんな状況で20世紀最後の年は明けていった。だが知恵者はいるもので、この一向にうだつの上がらないアートを使って、何と過疎化と高齢化に悩む地方の町おこしをやってみようと思いついた東京人がいたのである。
場所は、新潟県南部の越後妻有地区6市町村(十日町、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)。762kuというから東京23区全体よりもひろいところに、大小あわせて200近い集落が点在する。アート・フロント・ギャラリー代表取締役の北川フラムは、ヨーロッパの古都で行われてきたアートイベントを手本に、6年がかかりでこの地域振興型プロジェクトをまとめ上げた。経費は市町村が負担した3億円にスポンサー分を入れて、総計6億円強。さしずめ公共事業の現代アート判といったところだろう。
折から現代美術では、インスタレーションと呼ばれる制作方法(もともとは据え付けという意味。展示現場でその場にあった作品をつくっていくこと)がすっかり定着し、誰も驚かないほどに一般化していた。この傾向をさらに押しすすめたアートスペシフィック(通常の展示施設よりもっと歴史的、自然的意味合いの強い場所で行うインスタレーション)という手法もあらわれ、その制作をスムーズにするためのアート・イン・レジデンスなる作家招聘・滞在型システムさえ整いはじめていたのである。
世界32カ国から妻有地区へあつまってきたアーティストは総勢148人。そのなかにはダニエル・ビュレンヌ、ジョゼフ・コスース、ボルタンスキー、イリヤ&エミリア・カバコフ、ジェームズ・タレルといった世界的ビッグネームも含まれていた。なかでも特に注目を集めたのは、タレルの「光の館」であった。
彼は川西町の旧家をモデルに、まったく新しい高床式の家をつくる。屋根がスライドし、なかに居ながらにして青空が見上げられる館だ。人が住居を営むには、何よりもまず屋根という傘をひろげる必要がある。大地の一画に日陰をつくって外界の強い日差しを避けるためだ。タレルは開閉自在な傘に惹かれ、これを現代に蘇らせたかったという。一方、家のなかでは光ファイバーを巧みに使い、薄暗い水中でも青白い光を受けて入浴することのできる、大層風変わりな風呂が出現した。
北山善夫は中里村にある清津峡小学校土倉分校の体育館を使って、竹ひごに和紙を貼った巨大な(龍形)オブジェをくねらせる。天井からは羽根をつけた小さな椅子が、無数に吊り下げられる。そして校舎の外壁からは一対の翼が空中に伸びていた。これらはすべてここに学んだ子供たちの記憶につながっている。老人ばかりになった15戸の集落より、一足先に死んでしまった分校への心静かな弔辞だったのだろう。
広大な土地のあちこちに散らばる作品は、それぞれ山里への思いを秘めてなかなか魅力的である。参加者は当初目標の16万人をほぼ達成し、「光の館」へは宿泊希望者が引きもきらなかった。しかし人口8万人の過疎村に、ある日突然都会の人間が大勢やってきて「生活の破壊ではないか」と、批判的な意見を述べる者も少なくなかった。今年2009年で「大地の芸術祭」は4回目を迎える(現在は11月23日まで秋版を開催中)。これを夏に無事立ち上げ、その地域への浸透ぶりを観察している総合ディレクターの北川フラムはしみじみとこう漏らした。
「今思えば、無謀な試みだったと思う。でも、赤ん坊のように手間のかかる現代美術だからこそ、都市の何だかよく分からないアーティストや学生と、過疎地で農業をやっている保守的なお年寄りを結びつけることができた」

 

 


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