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都政新報 2009年12月4日掲載

新 アートの時代へN

●「石田徹也展」(練馬区立美術館=2008年11〜12月)
 僕たちのアナクロな変身


 人は誰しも夢をみる。鳥になって自由に空を飛べたら、どんなに気持ちいいだろう。あるいはチータになって、草原を駆けまわれたらどんなに爽快だろう。画家・石田徹也もそんな夢見がちな青年だった。1973年静岡県焼津市に生まれ、武蔵野美術大学でグラフィック・デザインとイラストレーションを学んでいる。
 卒業後は練馬の下石神井に居を定め、デザイナーとして順調に活躍する。だが彼は、ほかの人と少しだけ違っていた。かつてみた夢をそのままに放置しなかったのだ。短髪、丸顔。そしてスーツ姿に身を固めた、どうみても新米ほやほやのサラリーマンといった己れの分身をつくり出し、無謀にも夢に向かって突撃させたのである。
 空を飛ぶには鳥より飛行機の方がいい。野を駆けるにはチータより機関車の方がいい。そして優しい母親にすがりつき、ずっと甘えているには人間の赤ん坊が一番いい。この辺りの石田の戦略は緻密で、申し分なくユニークだ。しかし変身のプロセスが少しばかり怪しかった。額にプロペラを貼りつけ、迷彩服を着こんでポンコツ戦闘機に変身してみせた青年サラリーマン。
 両手をいっぱいに広げ、いかにも大空を滑空しているようにみせてはいるが、その実プロペラはぴくりとも動いてはいない。よくみると子供じみたマークをつけた翼だって、地上から伸びたアームに固定されているではないか。これは戦場を支配したありし日のゼロ戦の勇姿ではなく、もはや幼児にさえ見向きもされない、錆びて朽ちかけた公園の時代遅れの遊具なのだ。
 列車に変身した青年は、スーツの上からすっぽりとSL(蒸気機関車)を被っている。両手をわき腹に当てて忙しくクルクルまわしてはいるが、SLは一向に進んでいく気配がない。
大人になることを拒否して赤ん坊になりすましたサラリーマンは、狭苦しいベビーベッドに押し込められ、苦痛と屈辱に顔を歪めている。
 石田徹也の作品は、若者に特有の不安をたくみに掬いとっていると考えられがちだが、実はその根はもう少しだけ深いかもしれない。ケータイ、パソコン、IT機器の出現でまったく変わり果ててしまったコミュニケーションのやり方。グローバル化の波に洗われてギリギリともとめられる語学力、突然襲ってくるパンデミック騒ぎ、先のみえない年金制度、そして後期高齢者の介護問題…。
 当時この展覧会を担当した学芸員の横山勝彦は、「美しくもなく、楽しくもなく、場合によっては目を背けたくなるような彼の作品は、誰もが好きになるようなものではない」と指摘する。石田が提示する「アナクロな変身術」は、21世紀初頭を生きるわれわれすべてに与えられた、ほろ苦い免罪符なのかもしれない。
 画家自身によれば、自分を含む人物像は「完全な風刺とはならずに、ギャグ・皮肉・自嘲」になるしかないという。表面的な社会風刺を突き抜けて、あらゆる世代に蔓延するこの時代の不安を鋭くえぐっている。石田自身が31歳で鉄道事故という、不慮の最期を遂げたことと相まって、「石田徹也 僕たちの自画像展」が与えるインパクトは強烈である。すぐれて今日的な展覧会だといえよう。
 企画したのは、西武線中村橋駅にほど近い練馬区立美術館だ。ガラス張りのホールがお洒落な清々しい美術館である。区ゆかりの作家たちを網羅した収蔵品にも、学芸員の鋭い眼が行き届いている。だがそれにしても、「石田徹也展」のように地道な調査研究活動に基づいて美術的に意義の高い企画を打ち、それでいて自分たちの存在を埋没させずに済ませるのは並大抵ではあるまい。何しろ一様に派手好みで、宣伝媒体を握るマスコミに頼ろうとする傾向の強い首都圏の美術館界だ。
 ひどく辛くて、どことなく滑稽な等身大の分身が縦横に活躍する石田徹也の初回顧展は、期せずして練馬区立美術館が放ったクリーンヒットというべきだろう。

 

 


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