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都政新報 2009年11月13日掲載 

新 アートの時代へH

●アンリ・ルソー展(世田谷美術館=2006年10〜12月)
ルソーの見た夢、ルソーに見る夢


 世田谷美術館は2006年、開館20周年を迎えていた。それを記念して、同館が長らく集めてきたアンリ・ルソーをはじめ素朴派の作品群が、メインの展示会場に並べられる。「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展は、NHKの人気番組「迷宮美術館」でもとり上げられ、観客は当初想定の二倍を超える126,600人がつめかけた。自前の企画ゆえの苦労もないではなかったが、それを忘れさせるに充分の成果であった。
世田谷美術館が1986年に開館したとき、東京には国立新美術館や森美術館はもちろんのこと、まだ東京都現代美術館も横浜美術館も存在してはいなかった。板橋区立美術館など先行する若干の区立美術館のほかは、東京都美術館、東京国立近代美術館など長い歴史を誇る巨大な施設があっただけである。
巨大館のスケジュールは、通常3-4年先まで埋まっている。それぞれの実施計画は綿密で、急な変更など認める余地はほとんどない。ところが展覧会の中身は、開催直前まで固まらないのが普通だ。脂ののった現存作家の場合など、一年で出品作がガラリと変わってしまうことさえある。それに翻弄されてきた美術界とマスコミ各社は、もう少し自由裁量の利くパブリックなスペースがほしいと考えるようになった。
そこへ登場してきたのが、区立ながら県立並みの規模を持つ世田谷美術館だったのである。区もマスコミの熱い期待にこたえようと、美術館の運営を第3セクターに任せるなど次々と新しい手を打っていく。事務と学芸が一体となった事業の推進体制は、丸投げの「貸し会場」に慣れきっていた美術関係者の目には、実質以上に魅力的なものとして映っていたに違いない。
ところがこの年指定管理者制度は、実施へ向けた最後の期限を迎える。新制度によって民間の手法を導入し、施設運営の効率化をはかり、利用者サービスを向上させようという趣旨だ。しかしその真の狙いが、地方自治体の財政負担の軽減にあることは、誰の目にも明らかだった。関係者の多くは戸惑いながらも、外郭団体の管理運営を民間企業へと門戸開放していくことにする。国立、都立、県立、(私立)美術館がそれぞれの持ち味を生かして、この新しいハードルを飛び越えていくなか、行政単位としてはより下位にある市立・区立美術館の運営財団が、ひとり苦戦を強いられることになった。
もともと予算規模、作品の展示面積、ロケーションで巨大館に敵わない東京の地方美術館は、指定管理者に指名されるため、さらに予算・人員の大幅な削減に踏みこんでいく。現場の学芸員たちには、それでも「観客動員数だけは落とすな」という叱咤激励が、容赦なく浴びせかけられる。もはやキャッチ・コピーなど、目先を変えるイメチェン作戦だけでは通用しない。収蔵品展も回数を重ねるごとに飽きられていく。手をこまねいているうち、マスコミの足がみるみる遠のいていくのが実感されるきびしい情勢であった。
そうしたなか2006年の秋、世田谷美術館がいわば瀬戸際で開き直って打って出たがこのアンリ・ルソー展だったのだ。海外から彼の代表作数点を借りてくる計画をあきらめ、かわりに国内の作品を総動員する。だがどこでもルソーはコレクションの目玉だ。おいそれとは貸し出に応じてはくれない。23点あつめるのがやっとだった。
この穴を埋めるため第2部「素朴派たちの夢」、第3部「日本近代美術家たちとルソー」、さらには第4部「現代のルソー像」が構想される。いわば「ルソーの見た夢」に、「ルソーに見る夢」がつけ加えられた格好だ。全国3美術館を巡回し、会期中レストランではルソー・スペシャルなる特別メニューが用意された。その涙ぐましい奮闘の結果が、冒頭の思いがけない大逆転だったのである。

 

 


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