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都政新報 2009年11月10日掲載

新 アートの時代へG

●やなぎみわ展(2005年8〜11月)
無垢な老女と無慈悲な少女


 今年のベニス・ビエンナーレ日本館には、老女がぶよぶよと膨れ上がった裸身をゆすって強風吹きすさぶ荒野に屹立する、凄まじくも寓意に満ちた写真作品が並んだ。やなぎみわの「Windswept Women―老少女劇団」である。
やなぎはデビュー当時から一貫して、写真を表現の手段にしている。しかし一般的な意味での写真家ではない。彼女は眼前のありのままの現実には、ほとんど関心を示さないからだ。それよりお婆ちゃんっ子で育てられた、自らの生い立ちに深く執着していく。そのお婆ちゃんたちが順番に亡くなり、子供ごころに「老い」とか「死」を、強く意識するようになったという。
現実はやがて年齢も国籍も老いの程度も異なる、26人の老女たちが登場してくる「マイ・グランドマザーズ」のシリーズにつながっていく。だが老女たちはただの年寄りではない。少女や実在する40歳前後の女性と組み替えられ、若いはちきれそうな肉体の上に婆の顔がのっていたり、逆に痩せさらばえた胴に娘の頭がつながっていたりする不思議な光景を生み出す。彼女特有の「婆々娘々」という老若混淆図だ。
こうしたやなぎのかなり特異なアートを支持し、展覧会という場を提供したのはアートスペース紅、村松画廊、児玉画廊、原美術館など、主として私立の施設だった。なかでも原美術館は、2005年に「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」という長いタイトルの展覧会を開いている。彼女が斬新な手法で、新たな境地を切り拓いていく契機になった催しだ。
テント(のような傘)を被った女性が聖地を訪れ、なぜかそこを放棄して沙漠の荒野にさ迷い出るという筋立てだ。少女と老女が悪役と善玉に分かれ、画面いっぱいにグリム童話さながらの、ある意味見え透いた教訓劇を繰りひろげていく。先のベニス・ビエンナーレの出品作は、この老女と少女の寓意がベースとなって発展していったものだ。
展覧会を実施した原美術館は、私立でありながらもっとも経済的に成立しにくいといわれる現代美術を専門にした館である。現代のアートというのは、欧米を中心とした先進国のあいだでは、一種の共通言語として機能している。ベニス・ビエンナーレをはじめ各種のインターナショナルなイベントは、ほとんど例外なく現代アート(美術、映画、建築、音楽、演劇など)を主役にして開催されてきた。
そのため、これにどこまで触れられるかは、その地域の国際交流への意欲をあらわす指標とも受けとられてきた。まことに見栄えのする指標である。自治体の多くが館名に「現代」の二文字を入れた美術館を持ちたがるのは、そのためである。だが役人たちが机上で議論している間はともかくとして、現代美術を実際にハンドリングしようとすると、すぐさま多くの困難が立ちはだかる。
その第一は作品がときとして帯びる難解さである。複雑きわまりない現代社会を切りとろうとするアーティストの思考が、哲学を思わせる近寄りがたい作品を生み出すことも少なくないからだ。そしてそこからさまざまな取り扱いにくさが派生してくる。作品の制作はもとより運搬、展示、収蔵とあらゆる段階で、想定外の経費がかかってくるのだ。
第二は作品の売りにくさ。展覧会事業でいえば、観客動員力のなさである。このところ情勢はかなり変わってきてはいるが、現代美術をとり巻く日本の状況が根底から変化しはじめたわけではない。これらの課題を原美術館は、四代にわたる実業家ならではの発想とタイムリーな企画力でカバーしてきた。公立美術館でさえ持ちこたえにくい現代美術展を継続し、他に類をみない国際活動を可能にしてきたのである。
その先端的な姿勢を端的にあらわしたのが、やなぎみわの「信じられない物語」展であった。

 

 


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