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都政新報 

新 アートの時代へF

●「琳派 RIMPA」展(2004年8〜10月)
近代美術館で古美術展?


 官民入り乱れての大規規模なアートイベントがつづいた後、2004年に入ると美術界の空気はしだいに緩み、重苦しいものに変わっていく。前年に芦屋市立美術博物館の経営が行き詰まり、秋には運営の民間委託、売却、休館というシナリオが伝えられたからだ。この「美術館の危機」をまったくの対岸の火事と受けとった美術館関係者は、恐らくほとんどいなかったのではなかろうか。
その証拠に、5月に美術史学会が「美術館・博物館はなぜ必要か?」というシンポジウムを開くと、大勢の学芸員が全国から馳せ参じてきた。真剣な議論は、それ自体実りの多いものだったが、もとより美術館自身が主体的に引き起こした問題ではない。末端の学芸員たちに抜本的な解決策など準備できるわけがない。彼らはそれぞれの自治体を信じ、手間暇かかっても、遠い将来へと引き継ぐ文化を日々営々と積み上げていくほかはないのだ。
他方東京国立近代美術館は、この難問に対し夏から秋にかけて、ひとつの展覧会を開くことで解答を示そうとした。国宝、重要文化財を含む名品約80 点で構成した、大規模な「琳派 RIMPA」展である。
琳派とは17世紀・桃山時代後期の俵屋宗達・本阿弥光悦にはじまり、やがて尾形光琳・尾形乾山兄弟の光琳派に引き継がれ、江戸時代の後半になると酒井抱一、鈴木其一ら江戸装飾画派によってふたたび勃興した、華やかな美術様式である。大胆な構図と卓抜した技法で、絢爛豪華な装飾性に富み、その範囲は絵画ばかりか書や工芸品にまでおよび、さながら生活全体を包みこむ総合芸術の趣を呈していた。
しかし、いま挙げた3つのグループの間には、それぞれ30年から50年にもおよぶ長い空白期間がある。決して師から弟子へと、一族相伝の形で画技が伝えられた流派ではない。
琳派は受け継ぐものでなく発見によって断続的に継承されるものだ、といわれる所以である。学芸員(東京国立近代美術館では研究員)たちはそこに目をつけた。この装飾美術の流れを「琳派」と名づけ、大和絵を貫くひとつのスクールと見立てたのは、1972年の「琳派展」(東京国立博物館)である。とすれば高々ここ40年ばかりの命名ではないか。概念としては、まだまだ揺すってみる価値がありそうだ。
これを思い切って近代(明治期)にまで拡張すれば、東京国立近代美術館がわざわざ「琳派展」を開く必然性も生まれてこようというものだ。美術館は下村観山、菱田春草、今村紫紅、川端龍子、平福百穂、小林古径、前田青邨、福田平八郎、山口蓬春、中村岳陵、加山又造と、近現代美術の装飾画家たちを総ざらいにする。
だが、新しい試みはこれに留まらなかった。「琳派」ではなく「RIMPA」と表記することによって、梅原龍三郎、李禹煥、諏訪直樹、福本繁樹、岡村桂三郎、さらにはグスタフ・クリムト、オディロン・ルドン、コロマン・モーザー、ピエール・ボナール、アンリ・マティス、アンディ・ウォーホルまでをも持ち出す。
美術史家の辻惟雄は、硬直した琳派解釈に一石を投じる意欲的な読み替えの意義を高く評価しながら、「これが琳派の現代再生法かと、作家の熱意を感じさせるこれらの作品をみて妙に感心した」(朝日新聞)といくぶん困惑気味だ。この型破りな試みは、美術館が迫りくる「危機」に対し、自らの存在意義を学芸員の研究能力という一点に絞って反撃してみせた結果といえなくもない。

   それこそがコレクションの調査をもとに、歴史を書き替えてみせるミュージアムの本分だと主張している気がするのだ。そしてこの後こうした試みは、瞬く間に全国の美術館へと波及していくのだった。

 

 


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