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都政新報 2009年10月23日掲載

新 アートの時代へ C

●「村上隆展」(都現代美術館=2001年8〜11月)
召喚するかドアを開けるか


 日本の美術界では2001年、それまで考えられなかったタイプのアーティスたちが一斉に表舞台へ登場してくる。村上隆、奈良義智、中原浩大、ヤノベケンジなどである。なかでも村上は、東京芸術大学の日本画科で博士号を取得し、その論文は「意味の無意味の意味」という哲学的なもの。アーティストには珍しい理論家で、弁も人一倍立った。
埼玉県の朝霞とニューヨークのブルックリンで作品を制作し、アーティスト集団「ヒロポンファクトリー」を率いる。展覧会の作品を準備し、美術グッズやアートイベントを開発しながらアートマーチャンダイズの販売、制作スタッフのマネージメントまで手がけるというから、並みの事業家顔負けの経営手腕だ。有限会社カイカイキキの代表として、若手のアーティストたちの育成にものり出している。
村上はそれまで「ランドセル・プロジェクト」のような、政治性の強い造形物(ワシントン条約で輸入が禁じられている、クロコダイルやカバの皮革でつくったランドセルを一列に並べたもの)を発注でつくってきた。ところが1994年、DOB君という可愛らしさと不気味さを兼ね備えた和製ミッキーマウスのようなキャラクターを考案するのである。明らかに、それまで若者たちの間でひっそりと支持されてきたオタク文化(アニメ、マンガ、ゲーム、フィギュア、コスプレ)のモチーフを、純粋美術の世界へ持ちこんだのだ。
だが美術館を含め、美術界の反応はきわめて冷ややかだった。DOB君がペインティングの枠に収まらず、たちまちバルーンやTシャツに姿を変えていくのを横目でにらみながら、「村上隆は美術としてはやはり受けいれられなかった」(千葉成夫)と、いち早く黙殺宣言をする評論家さえ出てくる始末である。状況を一変させたのは作者自身のアメリカ滞在だった。
日本のアニメが「アート」になる、それも「アートの世界基準」になると確信した村上は、自らのオタク路線をスーパーフラットと名づける。ここから村上軍団の総反撃がはじまる。等身大のエロティックな美少女フィギュア(人形)「ヒロポン」、美少年フィギュア「ロンサム・カーボーイ」と、矢継ぎ早に世に送り出す。やや抑えた美少女「Miss KO2」を前面に押し立てたあたりで、オタクは完全に人々の日常に溶けこむのだった。
これらの立体作品は、後に海外のオークションで57万ドル(6800万円)という高値をつける。もはや「現代アートは難しい」とか、「お金にならない」と陰口を叩いている場合ではなかった。東京都現代美術館の「村上隆」展は、こうした状況のもとで行われたのだ。彼は自らの個展に「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」と、刺し違えも辞さない悲壮な覚悟で臨む。会場にはDOB君をはじめ、「かいかい」、「きき」、「お花」など可愛らしくもしたたかなキャラクターがところ狭しと並べられた。
その間オタク文化は、日本を牽引していくベンチャービジネスの一環という、経済をベースにした見方で評価されるのが一般的となる。国も地方もあげて、手のひらを返したようにアニメ・マンガ文化を支援する体制を組むようになる。東京都現代美術館は、巨大都市東京のアートを象徴する顔だ。そこでは常に世界最先端の動向が紹介されなくてはならない。
その後間もなく館長には、日本テレビ社長の氏家斎一郎が起用されていた。アニメーション文化のまたとないよき理解者であり、宮崎駿作品の推進役でもある。そのため東京都現代美術館は、村上隆に加え、スタジオ・ジブリというアニメーション文化のアート進出に、いちはやく評価の先鞭をつけることとなった。いろいろな経緯はあるにせよ、この勇気と先見性は評価されてよいだろう。

 

 


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