三宅一樹 「氣」2010年、木曾檜・桂、81×72×48 cm

YOKOI FINE ART

三宅一樹 「氣」2010年、木曾檜・桂、81×72×48 cm
YOKOI FINE ART

 

JAO:なかなか奥深いタイトルですね。
三宅一樹:氣というのはヨガでいうプラーナpranaのこと、すなわち生命エネルギーです。
いまではこの字を「気」と書きますが、これではダメですね。大切なプラーナが内から締め殺されてしまう。中国では「气」なんてデタラメに省略して、すべてを失くしている。ここはやはり「氣」と書いて、しっかり四方八方とつながっていたいですね。
JAO:それでこそ氣は大氣であり、大地だと思いますよ。
三宅一樹:私は以前からヨガをやっているのでよく分かるのですが、人間の体にはいくつか氣の集まる場所がある。眼、掌、お臍なんかです。このうち眼は内観といって、自分の内なる氣を観察するところ。だから私の彫刻には、外部を見渡す眼球はなく、かえって何もない虚空の眼をあたえています。掌はふたつ合わさって、その間に濃密な氣を凝縮させることが出来る。
JAO:それで三宅さんのつくる手は、あんなにも神秘的なのですか。
三宅一樹:いつもはモデルを使わないのですが、さすがにあのときだけは、モデルさんにいろいろポーズをやってもらいました。
JAO:いつもモデルなしで困りませんか。
三宅一樹:私はもともと具象的な作家ではありません。形のないもの、眼に見えないものを具現化するために人体を追いかけているのです。だから敢えて二つに分けるとしたら、むしろ抽象作家の方だといっていいでしょうね。
JAO:具象の方とは、アプローチの仕方が根本から違っていると…。
三宅一樹:フォルムは元々みえていない氣を捉えるための媒介です。宇宙と一体化するための手がかりに過ぎません。まあ手がかりといっても、美しく表現できればそれに越したことはありませんけどね。 (神谷町のカフェにて)

 


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